池田岩三郎
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池田 岩三郎(いけだ いわさぶろう、1874年(明治7年)8月23日 - 1937年(昭和12年)2月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。正四位勲二等功五級。広島県出身。
経歴
[編集]1874年(明治7年)8月23日、広島県安芸郡大須賀村[1](現:広島市南区)で、池田辰之助、アサ夫妻の三男として生まれる[1][2]。旧制修道中学校(現:修道中学校・高等学校)を経て[3]、1896年(明治29年)12月16日海軍機関学校(3期)を卒業[1]。1898年(明治31年)1月14日、海軍少機関士に任官[1]。のち海軍大学校教官兼教育本部部員、第6戦隊機関長などを経て、1916年(大正5年)英国駐在造船監督官となる。1920年(大正9年)12月1日に海軍機関少将へ昇任し第1艦隊機関長に就任[1]。1921年(大正10年)教育本部第3部長、1923年(大正12年)海軍機関学校長、1924年(大正13年)佐世保海軍工廠長。同年12月1日海軍機関中将、1925年(大正14年)海軍省軍需局長となる。1928年(昭和3年)軍令部出仕、1929年(昭和4年)7月5日に待命となり、同月10日、予備役編入となる[1]。ついで藤永田造船所社長を務めた。1937年(昭和12年)2月10日、64歳で卒去。墓所は多磨霊園[4][5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第9巻、第一法規出版、1995年。
- 人事興信所編『人事興信録』第8版、1928年。