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池田 忠義(いけだ ただよし、慶長17年(1612年)- 寛文12年(1672年))は、江戸時代初期の備前岡山藩番頭。
父は池田由之。母は側室。兄弟は備前岡山藩家老池田由成、阿波徳島藩家老蜂須賀玄寅、因幡鳥取藩家老池田之政。子は池田義陣。通称数馬。
慶長17年(1612年)8月30日、岡山に池田家家老池田由之の三男として生まれる。池田光政に仕えて寛永16年(1639年)知行1,000石、番頭となる。寛文12年(1672年)、上京の途中に兵庫で没した。享年61。家督は義陣、直義、義録、忠利、義路、義晴、義之、義直と受け継がれて明治を迎えた。