池田政虎
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和意谷池田家墓所の七のお山の政虎の墓 | |
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代初期 |
生誕 | 天正18年(1590年) |
死没 | 寛永12年7月28日(1635年9月9日) |
墓所 | 岡山県備前市にある和意谷池田家墓所 |
幕府 | 江戸幕府 |
氏族 | 池田氏→若原氏→池田氏 |
父母 |
父:池田輝政、母:満願院 義母:徳川家康の娘・督姫、養父:若原幸成 |
兄弟 | 利隆、政虎、輝高、利政、茶々姫、忠継、忠雄、輝澄、政綱、孝勝院、輝興 |
子 | 直長、政広、政長 |
池田 政虎(いけだ まさとら)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武士。池田輝政の7男(実は次男)。嫡母は父の継室・督姫(徳川家康次女)。生母は側室の満願院。子に直長、政広、政長らがいる。
略歴
[編集]幼年の時、叔父・長吉に養育される。慶長9年(1604年)、父・輝政の家臣・若原幸成の養子となり若原内記と称し、遺領5千石を継ぐ。同15年(1610年)、兄・忠雄(実は弟)に淡路一国を与えられた時、忠雄が幼少であったため、代わりに政虎が淡路由良城の城代となった。同18年(1613年)、池田姓に復姓し、池田加賀守と改める。
元和3年(1617年)、甥の池田光政の因幡鳥取藩への移封に伴い、岩井郡(巨濃郡)浦富の桐山城を陣屋と改め移住した。寛永12年(1635年)7月28日、京都で死去した。46歳没。
参考文献
[編集]- 村川浩平「池田輝政の男子について」『日本歴史』535号、1992年