池田敏雄 (民俗学者)
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人物情報 | |
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生誕 |
1916年8月6日 島根県荘原村 |
死没 | 1981年3月31日(64歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 台北第一師範学校 |
配偶者 | 黃鳳姿 |
子供 | 長女 池田麻奈、次男 池田珠樹 |
学問 | |
研究分野 | 民俗学 |
主な業績 | 民族台湾の創刊編集 |
池田 敏雄(いけだ としお、1916年(大正8年)8月6日 - 1981年(昭和56年)3月31日)は、島根県生まれの民俗学者。台湾の民俗学研究に携わった。
生涯
[編集](出典:[1])
父は池田朝(旧姓:山崎)で、池田家の養子となった。池田敏雄は1923年に父親の仕事の都合で渡台し、台北市旭小学校に入学した。
1929年、台北第一師範学校に入学。石川啄木に憧れて短歌を創作し、同人誌『原生林』を発行した[2]。
1935年に師範学校を卒業後、龍山公学校の教員となる。
1939年、師範学校時代に短歌を通して西川満を知り、最初の台湾民族に関する文章「台湾挑灯考」を『台湾風土記』に発表。
1940年4月、龍山公学校の任期が切れて総督府情報部嘱託となった。
1941年7月15日、金関丈夫とともに「民俗台湾」を創刊編集。黄鶴・牽牛子・月英・李氏杏花などさまざまな筆名で文章を発表し、誌面の経営に尽力した。
1943年には公民奉公会宣伝部に転属となる。1944年6月に応召。
妻の黃鳳姿は龍山公学校時代の教え子。
1947年4月、島根に帰り、島根新聞社に入社。出雲民俗の会刊行の『出雲民俗』 創刊号に寄稿をしたり,『民族学研究』に論文を投稿したり日本の民俗学研究に携わった[3]。
1954年9月に平凡社に入社、『中国古典文学全集』(全33巻、1958)や『中国古典文学大系』(全60巻、67年)等を企画し、76年に平凡社を定年退職した。
1975年2月28日、王育德が発起した「台湾人元日本兵士の補償問題を考える会」に参加している[4]。
著書
[編集]著作
[編集]- 『華麗島民話集』、日孝山房、1942年5月(西川滿共著)
- 『戦ふ台湾の農村』、東都書籍株式會社臺北支店、1944年5月
- 『台湾の家庭生活』、東都書籍株式會社臺北支店、1944年8月
- 『台湾の阿也都古』、出雲民俗、1959年
- 『福建系台灣人の出産習俗』、民族學研究、1955 年19巻2号
- 『柳宗悦と柳田国男の「不親切」』、民芸手帖、1980年1月
- 『池田敏雄台湾民族著作集』、綠蔭書房、2003年2月
編纂
[編集]- 『出雲の紙』、八雲村:島根民芸協会岩坂支部,1952年5月
出典
[編集]- ^ 中島利郎『日本統治期台湾文学小事典』綠蔭書房、2005年6月15日、4頁。ISBN 4-89774-266-8。
- ^ “民俗台灣 人物介紹-池田敏雄”. da.lib.nccu.edu.tw. 2024年12月8日閲覧。
- ^ 角南 聡一郎 (2021). “台湾におけるミンゾク学の萌芽と日本民俗学 --研究者の動向と物質文化研究に着目して--”. 人文學報 (118): 92.
- ^ “王育德紀念館-導覽及資源-空間導覽 -翻轉無情的判決”. oitmm.tnc.gov.tw. 2024年12月8日閲覧。