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池田東陽

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いけだ とうよう

池田 東陽
生誕 (1974-03-10) 1974年3月10日
日本の旗 日本東京都
死没 (2013-02-17) 2013年2月17日(38歳没)
出身校 大学
代々木アニメーション学院
職業 アニメーションプロデューサー
活動期間 - 2013年
肩書き 株式会社エンカレッジフィルムズ初代代表取締役社長
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池田 東陽(いけだ とうよう、1974年3月10日 - 2013年2月17日[1])は、日本アニメーションプロデューサー。株式会社エンカレッジフィルムズ(後の株式会社)初代代表取締役社長。東京都出身[2]

人物

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美少女戦士セーラームーン』に影響を受け、大学卒業後代々木アニメーション学院に進む[3]ディジメーション(2002年4月ゴンゾと合併)に第1期生として入社、仕上げ(デジタル彩色)を担当するが塗り間違いが多く、制作に配置換えとなる[4]

アシスタントプロデューサーとしてアニメ『ゲートキーパーズ』(2000年4月 - 9月放送)に参加した際に、同作品の総監督だった佐藤順一と出会い、それがきっかけで『カレイドスター』の企画を2人で始めることとなった[4]。『カレイドスター』ではアソシエイトプロデューサーを務め、スタッフやファンからは「池P」と呼ばれ親しまれた。また中原麻衣のファンとしても知られ、ライブ会場で目撃されたことがある[5]

2007年に結婚。人前式・披露宴の司会は大原さやかが務めた[6]。2007年10月26日に新宿ロフトプラスワンで行われたイベント「池P×サトジュンPRESENTS 『アニメ制作進行・金子真枝伝説』」でゴンゾ退社が発表され、2008年8月10日に新宿ロフトプラスワンで行われたイベント「不死鳥聖誕祭 〜レイラさんの すごい? 勝手にお誕生日会〜」において、アニメーション企画・制作スタジオ「エンカレッジフィルムズ(後の株式会社)」を追崎史敏と共に設立したことを発表し、同社社長に就任。

2013年2月17日、急性肝不全のため38歳で死去[1]。経営者としてのプレッシャーから酒量が徐々に増え、晩年はバーボンを肌身離さず持ち歩くなど、アルコール依存状態だったと長く仕事を共にした佐藤が証言している[7]。亡き後の社長職は追崎が引き継いでいる。

参加作品

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テレビアニメ

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2000年
2003年
  • カレイドスター (アソシエイトプロデューサー)
  • カレイドスター 新たなる翼 (アソシエイトプロデューサー、2003年 - 2004年)
2007年
2015年

OVA

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2004年
2005年
  • カレイドスター Legend of phoenix 〜レイラ・ハミルトン物語〜 (プロデューサー)
2006年
  • カレイドスター ぐっどだよ! ぐぅーっど! (監修・構成)
2014年

Webアニメ

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2009年
2013年

ゲーム

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2000年
2002年

脚注

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  1. ^ a b いつもエンカレッジフィルムズを応援してくださっている皆様へ - ウェイバックマシン(2013年3月1日アーカイブ分)
  2. ^ スタッフ紹介 - ウェイバックマシン(2015年8月12日アーカイブ分)
  3. ^ 株式会社エンカレッジフィルムズ 公式サイト スタッフ紹介より。
  4. ^ a b カレイドスター 公式サイト内 「カレイドスター:みんなへの すごい 業務報告」 池田プロデューサープロフィールより。
  5. ^ インターネットラジオ カレイドスター そらとレイラの すごい ○○』 第59回より。なお中原は『カレイドスター』にて後半のメインキャラクターであるメイ・ウォン役で出演している。
  6. ^ 斎門堂 (2007年5月13日). “池田東陽プロデューサーの結婚式な日!”. 大原省. 2010年4月19日閲覧。[リンク切れ]
  7. ^ アニメスタイル編集部 (2021年9月13日). “佐藤順一の昔から今まで(29) 『カレイドスター』の すごい 思い出・3 | WEBアニメスタイル”. WEBアニメスタイル | もっとアニメの話をしよう。. 2023年9月9日閲覧。