池田治恕
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 明和2年(1765年) |
死没 | 天明元年(1781年) |
改名 | 安次郎、鶴五郎(幼名)、治恕 |
戒名 | 孝得院殿本然自性大居士 |
官位 | 従四位下侍従、右衛門督 |
藩 | 因幡鳥取藩世嗣 |
氏族 | 因州池田家 |
父母 | 池田重寛 |
兄弟 | 治恕、治道、澄時、仲雅、絲子、本姫 |
池田 治恕(いけだ はるゆき)は、江戸時代中期の因幡国鳥取藩の世嗣。官位は従四位下・侍従、右衛門督。
略歴
[編集]5代藩主・池田重寛の長男として誕生。幼名は安次郎、鶴五郎。
安永7年(1778年)徳川家治に拝謁し叙任するも、家督を相続することなく天明元年(1781年)に死去した。享年17。法名は孝得院殿本然自性大居士。
代わって弟・治道が嫡子となった。