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池田清 (政治学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

池田 清(いけだ きよし、1925年3月21日[1]- 2006年4月3日[2])は、日本海軍軍人政治学者海兵73期。最終階級は海軍中尉東北大学名誉教授。専攻は政治外交史。息子に国際政治学者池田明史がいる。

経歴

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鹿児島県出身。1944年昭和19年)3月、海軍兵学校73期)卒業。重巡洋艦摩耶」に乗組、砲術士としてレイテ沖海戦に参加。「摩耶」が撃沈された後、戦艦武蔵」に救助されるが、「武蔵」も撃沈され九死に一生を得た。帰還後は海軍潜水学校普通科を経て「伊四七潜」砲術長兼通信長となり、回天「多聞隊」を乗せて出撃した。

戦後は公職追放を経て[3]、歴史学を志す。1952年(昭和27年)、東京大学法学部政治学科卒業。大阪市立大学教授を経て、東北大学法学部教授。88年定年退官、名誉教授[4]青山学院大学国際政治経済学部教授、2000年定年退職[5]。左脚には負傷した際の小弾片が入ったままであった。

著書

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  • 『政治家の未来像 ジョセフ・チェムバレンケア・ハーディー有斐閣、1961年
  • 『日本の海軍』(上・下)、至誠堂、1966-67年
    • 改訂版『日本の海軍』(上・下)、朝日ソノラマ文庫・航空戦史シリーズ、1987年、新装版・戦記文庫、1993年
    • 新版『日本の海軍』(上・下)、学研M文庫、2002年。上は誕生篇・下は躍進篇
  • 『激闘 重巡・摩耶』 R出版、1971年
    • 増訂版『重巡 摩耶』 朝日ソノラマ文庫・航空戦史シリーズ、1986年
    • 新版『重巡 摩耶 元乗組員が綴る栄光の軌跡』 学研M文庫、2002年
  • 『海軍と日本』 中公新書、1981年
  • 『最後の巡洋艦 矢矧新人物往来社、1998年
  • 『「坂の上の雲」の主人公 秋山兄弟の生き方』ごま書房、1996年
    • 改題『秋山兄弟に学ぶリーダーの条件 日露戦争の名参謀』ごま書房(新書判)、1999年
    • 改題『「坂の上の雲」の秋山好古真之とその時代』ごま書房新社、2008年
  • 『図説・太平洋戦争』 太平洋戦争研究会と共編著、河出書房新社、1995年、増訂版2005年、新装版2019年

翻訳

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脚注

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  1. ^ 『著作権台帳』
  2. ^ 池田清 - 東北大名誉教授 西洋政治史 鹿児島県 | 死去ネット”. sikyo.net. 2018年11月6日閲覧。
  3. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、25頁。NDLJP:1276156 
  4. ^ 池田清教授略歴・著作目録 (池田清教授退官記念号)法学(東北大学)1988-02
  5. ^ 「池田清 人と学問 (池田清教授退任記念号) 渡邊昭夫,池田清 青山国際政経論集 2000-09