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池田長康

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

池田 長康(いけだ ながやす、1883年明治16年)7月24日[1] - 1962年昭和37年)5月23日[2][注 1])は、大正から昭和期の実業家政治家華族貴族院男爵議員。旧姓・千坂[1]

経歴

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本籍・岡山県[2]内務官僚千坂高雅の六男として生まれ、男爵池田長準の養子となる[1][3]。養父の死去に伴い、1913年(大正2年)4月10日、男爵を襲爵した[1][3][4]

1911年(明治44年)7月、京都帝国大学法科大学政治学科を卒業[2][3][5]。同年、三井銀行に入行[2]。以後、日本鉄工取締役、富士護謨工業取締役、山城銀行頭取、桑船銀行取締役、萩電灯取締役などを務めた[2][3]

1918年(大正7年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[6][7]公正会に所属して活動し1932年(昭和7年)7月9日まで2期在任した[2]。その他、臨時大都市制度調査会委員、国有財産調査会委員、刑法改正委員などを務めた[2][3]

栄典

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著作

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  • 述『貴族院はどうなるか:貴族院改革試案大綱』大阪時事新報社、1940年。

親族

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  • 妻:鑅(こう、池田政樹長女)[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成 上巻』110頁では5月22日。

出典

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  1. ^ a b c d e 『平成新修旧華族家系大成 上巻』110頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』63頁。
  3. ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 上』イ119頁。
  4. ^ 『官報』第207号、大正2年4月11日。
  5. ^ 『京都帝国大学一覧 從明治44年 至明治45年』京都帝国大学、1912年、263頁。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、27頁。
  7. ^ 『官報』第1788号、大正7年7月18日。
  8. ^ 官報』第558号「叙任及辞令」1914年6月11日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
池田長準
男爵
(片桐)池田家第2代
1913年 - 1947年
次代
華族制度廃止