池谷繁太郎
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池谷 繁太郎(いけたに しげたろう、1853年(嘉永6年6月[1]) - 1908年(明治41年)3月3日[1])は、明治時代の政治家。自由民権運動家。衆議院議員(1期)。諱は茂時、号は岳雲[2]。
経歴
[編集]池谷七郎平の長男として駿河国富士郡大宮東町(静岡県富士郡大宮町を経て現富士宮市)に生まれる[2]。幕末、韮山の江川塾に入り漢籍、砲術を学んだ[2]。1872年(明治5年)副戸長となり、学区取締、医務取締、地租改正調、第二大区長、町村連合会議長を経て、1876年(明治9年)静岡県民会議員となり、1880年(明治13年)静岡県会議員に当選した[2]。国会開設請願運動の建白総代に名を連ね、1881年(明治14年)の静岡県改進党の結成に加わり、翌年結成された岳南自由党にも参加した[2]。ほか、国幣中社浅間神社主典を務めた[1]。
1894年(明治27年)9月の第4回衆議院議員総選挙では静岡県第2区から出馬し当選[1]。衆議院議員を1期務めた[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
- 静岡新聞社出版局 編『静岡県歴史人物事典』静岡新聞社、1991年。ISBN 4783804249。