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池貝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
池貝鐵工所から転送)
株式会社 池貝
Ikegai Corp.
種類 株式会社
市場情報
東証1部 6102
2001年6月1日上場廃止
大証1部(廃止) 6102
2001年6月1日上場廃止
本社所在地 日本の旗 日本
311-3501
茨城県行方市芹沢920-52
設立 1949年(昭和24年)7月1日
業種 機械
法人番号 8050001021727 ウィキデータを編集
事業内容 工作機械等の製造・修理ならびに販売・設置工事
代表者 代表取締役CEO 張春華
代表取締役社長 中西章
資本金 9000万円
従業員数 245名(連結)
決算期 12月31日
主要子会社 池貝ディーゼル
関係する人物 代表取締役会長 徐建國
外部リンク https://www.ikegai.co.jp/
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株式会社池貝(いけがい)は、工作機械産業機械の製造、子会社を通じてディーゼルエンジンの販売を行う機械メーカー。

戦前の五大工作機械メーカーの一つに数えられ日本の近代化を支えた老舗製造企業だったが、現在は中華民国台湾)企業の「友嘉実業集団」傘下である。

概要

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池貝鉄工所製第1号旋盤機械遺産第53号。国立科学博物館の展示。

明治時代に日本の工作機械の父と言われた池貝庄太郎によって設立された老舗企業である。

国産初の旋盤[注釈 1]、ディーゼルエンジン量産[1]、最初期のNC加工工作機械製造など、日本近代製造業の歴史に名を刻む企業でもある。

かつては東証1部などの上場会社であったが1970年代以降、数度の経営不振、再建、中華人民共和国の上海電気集団総公司の傘下を経て現在は台湾の友嘉実業集団傘下の非上場会社となり、会長には上海電気出身の張春華が就任した[2][3]

沿革

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  • 1889年(明治22年)5月 - 池貝庄太郎東京府芝区金杉川口町で池貝工場を創設し創業。同年末国産第一号の旋盤となる自家用英式9フィート旋盤を2台製造。当初の業務は主に部品加工であり田中工場の下請けをしていた。
  • 1890年(明治23年)8月 - 東京府芝区柴井町に工場移転。部品加工のほか織物の艶出しロール機を製作。
  • 1894年(明治27年)₋ 日清戦争の際に銃器類の製作注文を多く受注。
  • 1895年(明治28年)₋ 東京府芝区田町三丁目に工場を新築移転。
  • 1896年(明治29年)₋ 3馬力半竪型陸用石油エンジンを製造。国産初の石油エンジン製作。
  • 1897年(明治30年)₋ 国内で初めて歯車の機械削成を実施
  • 1899年(明治32年) - ボンサック(en:James Albert Bonsack)煙草巻き上げ機を国産化[4]
  • 1901年(明治34年)₋ 東京府芝区本芝入横町にレンガ造りの新工場を建設移転。
  • 1905年(明治38年)₋ 英式と米式の折衷型である池貝式標準旋盤を製作。
  • 1906年(明治39年) - 煙草商で財を成した千葉松兵衛が出資し池貝家、千葉家による合資會社池貝鐵工所に改組。社長は池貝庄太郎、相談役に千葉松兵衛
  • 1913年(大正2年) - 資本金50万円の株式會社池貝鐵工所に改組。、松兵衛の弟・千葉恒次郎が副社長に就任。取締役に池貝喜四郎、千葉松兵衛は監査役に就任。隣接する芝下町所在の450坪の土地を購入し工場を拡張[5]
  • 1920年(大正9年)₋ 資本金600万円に増資。池貝喜四郎の発案で標準旋盤としてG型旋盤を製作。
  • 1925年(大正14年)₋ プロファイル縮写削成機を製作。
  • 1926年(大正15年) ₋ 印刷輪転機の製作を開始し新聞社等へ高速度輪転機を製作納入。
  • 1935年(昭和10年)₋ 川口市に株式会社池貝鋳造所を設立し本社鋳物工場を同社に移転
  • 1936年(昭和11年)₋ 川崎市に自動車部工場を新設し翌年独立させ池貝自動車製造株式会社を設立
  • 1938年(昭和13年)₋ 日本鈑金工業株式会社と西村ラヂエータ―製作所を合併させ東京ラヂエーター製造株式会社設立
  • 1943年(昭和18年) - 軍需工場として池貝鐵工所館山工場稼動(同工場は戦後分離独立して1947年に池貝館山製作所となり、その後館山製作所に改称、1956年には富士ディーゼルに改称して船舶や発電機関係のディーゼルエンジンの中堅トップメーカーとなったが、1990年に解散した)[6]
  • 1949年(昭和24年)7月 - 企業再建整備法により、株式會社池貝鐵工所の現物出資による新会社として、同名の池貝鉄工株式会社として設立。
  • 1984年(昭和59年)6月 - 経営不振となり、「再建の魔術師」と呼ばれた大山梅雄が社長に就任し再建を図る[7][8]
  • 1991年(平成3年)4月 - 株式会社池貝に改称。
  • 2001年(平成13年)
  • 2004年(平成16年) - 民事再生手続が終結。中国の上海電気集団総公司が75%の株式を取得、傘下となる。
  • 2014年(平成26年)5月13日 - 台湾の友嘉実業集団の傘下となる。
  • 2019年(平成31年)1月1日 - アキヤマインターナショナルを合併。

各所在地

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拠点名 住所
本社・ツクバ工場・サービスセンター 茨城県行方市
東京支社 東京都江東区
東京営業所・営業技術室 神奈川県横浜市鶴見区
名古屋営業所 愛知県名古屋市中区
大阪営業所 大阪府堺市南区
株式会社池貝ディーゼル 茨城県行方市
池貝金属株式会社 埼玉県川口市
新日本工機株式会社 大阪府堺市南区
池貝(上海)機械設備有限公司 中国上海市閔行区

出典:[10]

関連する人物

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脚注

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注釈

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  1. ^ 国産第1号の旋盤は国立科学博物館に収蔵されている

出典

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  1. ^ 山岡, 茂樹「本邦高速ディーゼル工業史の教訓」『技術と文明 : 日本産業技術史学会会誌』第2巻第2号、日本産業技術史学会、1986年3月、19-24頁。 
  2. ^ “台湾大手による日本の工作機械中堅の買収劇。「うちに言ってくれれば買ったのに」”. 日刊工業新聞. (2016年10月10日). https://newswitch.jp/p/6395 2017年10月15日閲覧。 
  3. ^ “日本人の心と技 祖国に――第1部〈最大勢力〉”. 朝日新聞. (2009年2月11日). http://www.asahi.com/special/kajin/TKY200902100365.html 2017年10月15日閲覧。 
  4. ^ 第6章 煙草消費の変容と煙草専売の運営戦間期日本の家計消費 世帯の対応とその限界、西川邦夫、東京大学社会科学研究所研究シリーズ No. 57、東京大学社会科学研究所、2015、p85
  5. ^ 『池貝喜四郎追想録』機械製作資料社、1943年、[要ページ番号]頁。 
  6. ^ 池貝庄太郎特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム、2009年6月11日
  7. ^ 大山梅雄(読み)おおやま うめおコトバンク
  8. ^ 大山 梅雄(読み)オオヤマ ウメオコトバンク
  9. ^ (株)池貝”. 東京商工リサーチ (2001年2月28日). 2001年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月16日閲覧。
  10. ^ 拠点情報

関連項目

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外部リンク

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