汾陽侯
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汾陽侯(ふんようこう)は、古代中国の前漢時代、紀元前196年から紀元前140年までと、紀元前62年以降いくらかの期間あった列侯の一つである。靳彊とその子孫が封じられた。封地の汾陽県は太原郡(現在の山西省)にあったが、侯の封地は国というので、汾陽侯がいたときには汾陽国といった。
歴史
[編集]秦末の反乱から高祖劉邦に従って戦った靳彊が、高祖11年(紀元前196年)2月辛亥(『漢書』によれば3月辛亥)に汾陽侯に封じられたのが始まりである[1][2]。諸侯の中で位次は96位であった[2] 。子の靳解、孫の靳胡が継承したが、靳胡の死で絶えた[1][2]。
武帝の時代に靳彊の曽孫の靳石が江都侯になったが、数年で免職になり侯の地位を失った[1][2]。
宣帝の詔で、元康4年(紀元前62年)に靳彊の玄孫の靳忠が封じられた[1]。その後は不明である。
汾陽侯の人物
[編集]- 靳彊 - 高祖11年(紀元前196年)封、高后3年(紀元前185年)死、厳侯[1][2]。
- 靳解 - 高后3年(紀元前185年)嗣、孝景5年(紀元前152年)死、共侯[1][2]。
- 靳胡 - 孝景5年(紀元前152年)嗣、(建元元年、紀元前140年)死、康侯[1][2]。
- 靳忠 - 元康4年(紀元前62年)封[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]外部リンク
[編集]- 中央研究院・歴史語言研究所「漢籍電子文献資料庫」。