沈在哲
沈在哲 심재철 | |
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生年月日 | 1958年1月18日(66歳) |
出生地 | 韓国全羅南道光州市(現・光州広域市) |
出身校 | ソウル大学校師範大学英語教育科 |
所属政党 |
(民主自由党→) (新韓国党→) (ハンナラ党→) (セヌリ党→) (自由韓国党→) (未来統合党→) 国民の力 |
選挙区 | 京畿道安養市東安区乙 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 2000年5月30日 - 2020年5月29日 |
沈 在哲(シム・ジェチョル、朝鮮語: 심재철、1958年1月18日 - )は、大韓民国の政治家、元学生運動家。第16・17・18・19・20代国会議員[1]。
本貫は青松沈氏。カトリック教徒。ソウル大学校教育学士、中央大学校社会福祉学修士[1]。
来歴
[編集]光州市出身。光州第一高等学校を卒業後、ソウル大学校師範大学英語教育科に進学した[1]。1980年のソウルの春当時はソウル大総学生会長として、ソウル大学総学生会代議員議長の柳時敏や李海瓚らとともにソウルで発生した学生らによるデモ活動に参加した[2][3]。学生らが撤退した(「ソウル駅回軍」)後、政府は沈在哲に対して指名手配令を発した。逮捕後に拷問を受けたため、金大中による内乱陰謀事件の裁判に被告人として参加した際に、「金大中からお金をもらった」と虚偽の証言を強要された[4][5]。裁判で5年の懲役刑を受け、1983年12月に釈放された。なお、後の政治傾向の違いから、2019年には学生運動当時の認識について、柳時敏と論戦を広げた[6]。また、ソウル駅回軍の直後に発生した光州事件について、ソウル回軍の当事者でもあった、のちに大統領となった文在寅は2020年に「ソウル駅回軍がなければ光州事件も発生しなかっただろう」と発言したことに対し、沈在哲は「軍はソウル駅のデモに関係なく、既にその1週間前に光州に配置された」と批判した[7][3]。
釈放後はしばらく東大門女子中学校で教師を務めた後、文化放送に記者として入社した。1993年に出勤途中に交通事故に遭い、重傷を負い、のちに「中度障害者」(肢体障害)に認定された。1995年に政界入り、保守系の民主自由党に入党した。のちに後継政党の新韓国党、ハンナラ党、セヌリ党を経て、自由韓国党の院内代表[8]、第20代国会前半の副議長を務めた[1]。党内では「親李明博系」に位置づけされる[6]。
脚注
[編集]- ^ a b c d “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2022年3月19日閲覧。
- ^ “서울대 선배들 "유시민 비밀조직 지켰다, 심재철 배신"” (朝鮮語). 중앙일보 (2019年5月8日). 2022年3月19日閲覧。
- ^ a b 나확진 (2020年5月18日). “심재철 "'서울역 회군' 문대통령 인식 왜곡"” (朝鮮語). 연합뉴스. 2022年3月19日閲覧。
- ^ “5·18 39주년에 불붙은 유시민 vs 심재철 진실 공방” (朝鮮語). 주간동아 (2019年5月20日). 2022年3月19日閲覧。
- ^ “심재철 전 의원, ‘김대중 내란음모 허위자백’ 보도 한겨레 상대 손배소 1심 패소” (朝鮮語). www.hani.co.kr (2021年8月19日). 2022年3月19日閲覧。
- ^ a b “심재철 자유한국당 신임 원내대표” (朝鮮語). monthly.chosun.com (2019年12月19日). 2022年3月19日閲覧。
- ^ “5・18前日、戒厳令違反で拘束された青年文在寅、留置場で惨状聞く”. japan.hani.co.kr (2020年5月18日). 2022年3月19日閲覧。
- ^ 김태균 (2019年12月9日). “韓国最大野党 新院内代表に強硬派の沈在哲氏選出”. 聯合ニュース. 2022年3月19日閲覧。