沖縄連隊区
沖縄連隊区(おきなわれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は沖縄警備隊区である。沖縄県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は沖縄連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に沖縄地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。
沿革
[編集]1886年(明治19年)12月1日、「警備隊条例」が公布され、まず対馬警備隊が設置され、順次、小笠原、佐渡、隠岐、大島、沖縄に警備隊を設けることとなった[1]。1888年(明治21年)5月14日に公布された「陸軍管区表」(明治21年勅令第32号)により、沖縄警備隊区が設置され第6師管第11旅管に属し、管轄区域は沖縄県全域となった。しかし、沖縄警備隊が1898年(明治31年)に設置されるまで警備隊区の業務は鹿児島大隊区、鹿児島連隊区が担った(「陸軍管区表」備考)。1896年(明治29年)4月1日、旅管が廃止され第6師管の所属となった[2]。
1898年4月1日、沖縄警備隊司令部は「沖縄警備隊司令部条例」(明治31年3月8日勅令第36号)により設置され、警備隊区の業務を担った。同年4月15日より司令部は沖縄県庁内で事務を開始した[3]。1901年3月22日、司令部が那覇区字久茂地の新築庁舎に移転[4]し、さらに同年12月28日、那覇区松下町に移転した[5]。
1903年(明治36年)2月14日、再び旅管が採用され警備隊区は第6師管第11旅管に属した[6]。1917年7月17日、司令部が那覇区美栄橋町に移転[7]。
1918年(大正7年)6月1日、沖縄警備隊が廃止(大正7年5月29日軍令陸第15号)され、同日、沖縄警備隊区を廃止し沖縄連隊区を設置し、第6師管第36旅管に属した。管轄区域は警備隊区と同様に沖縄県全域で、その廃止まで変更はなかった[8]。
日本陸軍の第三次軍備整理に伴い陸軍管区表が改正(大正14年4月6日軍令陸第2号)され[9]、1925年5月1日に旅管は廃止となり引き続き第6師管に属した。
1940年(昭和15年)8月1日、沖縄連隊区は西部軍管区熊本師管に属することとなった[10]。 1945年には作戦と軍政の分離が進められ、軍管区・師管区に司令部が設けられたのに伴い、同年3月24日、連隊区の同域に地区司令部が設けられた[11]。地区司令部の司令官以下要員は連隊区司令部人員の兼任である。同年4月1日、熊本師管は熊本師管区と改称された[12]。
司令官
[編集]沖縄警備隊区
[編集]- 下江孝 歩兵少佐:1898年4月1日 - 1899年2月22日
- 瀬戸競 歩兵少佐:1899年2月22日 - 6月1日
- 瀬戸競 後備歩兵少佐:1899年6月1日 - 1901年2月13日
- 久芳光直 歩兵少佐:1901年2月13日 - 1901年4月1日
- 久芳光直 後備歩兵少佐:1901年4月1日 - 1902年11月1日
- 岡田昭義 歩兵少佐:1902年11月1日 -
- 山中光保 歩兵少佐:1903年5月1日 - 1906年11月18日
- 木沢啓 歩兵少佐:1906年11月18日 - 1907年11月13日
- 鈴木秀五郎 歩兵中佐:1907年11月13日 - 1908年8月4日
- 野島貫一 歩兵中佐:1908年8月4日 - 1911年9月28日
- 原粛郎 輜重兵少佐:1911年9月28日 - 1912年3月8日
- 佐多武彦 歩兵中佐:1912年3月8日 - 1915年2月15日
- 梅田岩樹 歩兵中佐:1915年2月15日 - 1916年8月18日
- 光井芳太郎 歩兵中佐:1916年8月18日 - 1918年6月1日
沖縄連隊区
[編集]- 光井芳太郎 歩兵大佐:1918年6月1日 - 7月24日[13]
- 納富広次 歩兵中佐:1918年7月24日[13] - 1920年8月1日[14]
- 土方清 歩兵中佐:1920年8月1日[14] - 1922年8月15日[15]
- 藤井好祐 歩兵大佐:1922年8月15日[15] -
- 高牟礼盛助 大佐:不詳 - [16]
- 前原宏行 歩兵大佐:不詳 - 1928年8月10日[17]
- 小谷喜彦 歩兵大佐:1928年8月10日[17] -
- 森尻伊祐 大佐:1930年8月1日[18] - 1932年[16]4月11日[18]
- 石井虎雄 歩兵中佐:1932年6月30日 - 1935年8月1日[19]
- 古思了 歩兵大佐:1935年8月1日[19] - 1937年8月2日[20]
- 生田寅雄 大佐:1937年8月2日[21] - 1939年8月[16]1日[21]
- 松田元治 大佐:1939年8月 - 1941年8月[16]
- 井口駿三 大佐:1941年8月 - 1944年10月10日戦死[16]
- 吉田喜徳 大佐:1944年10月19日[22] - 1945年4月3日[23]
- (代理)左近寺六郎 中佐:[16]
脚注
[編集]- ^ 『陸軍軍戦備』22頁。
- ^ 陸軍管区表(明治29年3月16日勅令第24号)
- ^ 『官報』第4444号、明治31年4月27日。
- ^ 『官報』第5324号、明治34年4月6日。
- ^ 『官報』第1630号、大正7年1月11日。
- ^ 陸軍管区表(明治36年2月14日勅令第13号)
- ^ 『官報』第1495号、大正6年7月25日。
- ^ 陸軍管区表(大正7年5月29日軍令陸第16号)
- ^ 『陸軍軍戦備』101頁。
- ^ 陸軍管区表(昭和15年7月24日軍令陸第20号)
- ^ 『陸軍軍戦備』480頁。
- ^ 陸軍管区表(昭和20年2月9日軍令陸第2号)
- ^ a b 『官報』第1794号、大正7年7月25日。
- ^ a b 『官報』第2401号、大正9年8月3日。
- ^ a b 『官報』第3013号、大正11年8月16日。
- ^ a b c d e f 瀬名波栄『沖縄作戦』沖縄戦史刊行会、1978年、16頁。
- ^ a b 『官報』第488号、昭和3年8月11日。
- ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』234頁。
- ^ a b 『官報』第2575号、昭和10年8月2日。
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』250頁。
- ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』304頁。
- ^ 『陸軍異動通報』第217号、昭和19年10月21日。
- ^ 『陸軍異動通報』第86号、昭和20年4月9日。