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沖鷹丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
冲鷹丸/沖鷹丸
基本情報
建造所 石川島造船所[1]
運用者  大日本帝国海軍
開拓使
北海道運輸会社(共同運輸会社)
艦種 運送船[1][2]
艦歴
計画 明治5年度計画[2]
起工 明治5年5月[2](1872年6月頃)
進水 1874年1月21日[2]
竣工 1875年12月[1][3]
その後 1877年2月15日開拓使へ引渡[4]
1883年共同運輸会社ヘ無償下附[5]
要目
トン数 105.36241トン[3]
長さ 965[3](29.24m)
または96 ft (29.26 m)[6]
14尺2[3](4.30m)
または14 ft (4.27 m)[6]
吃水 船首:3尺7(1.12m)、船尾:4尺7(1.42m)[3]
ボイラー 1基[7]
主機 蒸気機関 2基[3]
推進 スクリュー 2軸[3]
出力 22名馬力[3]
帆装 2スチールスクーナー[3]
燃料 炭団:18,000[3](約10.65英トン)
航続距離 燃料消費:6,000斤/日[3](約3.85英トン/日)
兵装 1877年[8]
8cmクルップ砲 2門
野戦ミテラ砲 1門
搭載艇 1877年時:2隻[9]
その他 船材:[1][3]([7])
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冲鷹丸[3]/沖鷹丸(ちゅうようまる)[2]は、日本海軍の運送船[1]

艦名は「冲天(沖天)の勢いのある」の意味[1]

艦型

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2スクーナー型の木造汽船[3]。 推進はスクリュー2軸で主機蒸気機関2基[3]ボイラーは1基だった[7]

要目表の値は主に『記録材料・海軍省報告書第一』による[3]。 『公文原書』に記載の冲鷹丸の船体主要寸法は以下の通り[7]

  • 長さ:キールで14(25.455m)、荷線溝内で15間(27.273m)
  • 幅:荷線で2間2(4.242m)、甲梁で2間19寸(4.212m)
  • 深さ:荷線上で船首7尺5寸(2.273m)、船尾6尺9寸(2.091m)。荷線下で船首4尺(1.212m)、船尾4尺5寸(1.364m)。
  • 吃水:船首3尺7寸(1.121m)、船尾4尺7寸(1.424m)

船歴

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建造

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明治5年度計画で石川島造船所で建造された[2]明治5年5月(1872年6月頃)に起工[2]1873年(明治6年)11月に船名を金龍にしたいと主船寮から申し出があったが、翌1874年(明治7年)1月に冲鷹に変更された[10]1874年(明治7年)1月21日進水[2]1875年(明治8年)12月に竣工した[1]

開拓使

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1876年(明治9年)12月頃に冲鷹丸開拓使所轄の雷電丸の交換の話が出て[11]1877年(明治10年)2月14日付で雷電丸と交換の布達が出された[12]冲鷹丸は2月15日午前11時に横須賀造船所主船局が引き取り、石川島まで試運転を行って午後7時に開拓使へ引き渡された[4]。 なお『日本近世造船史 明治時代』では1877年(明治10年)2月5日に開拓使に交付、とされている。 2月19日に開拓使から冲鷹丸に海賊対策として8cm砲2門、野戦砲1門の据付が上申され[8]、 2月27日許可された[13]

同年の西南戦争冲鷹丸は、外の開拓使所属船2隻(玄武丸・矯龍丸)と共に参加した[14]冲鷹丸は2月17日から6月18日の間に房総半島沖、相模湾などで警備航海を行った[15]。 6月19日午後2時に品海を出港、途中で石炭積み込みなどで各地に寄港し、6月30日午後1時兵庫港に到着した[15]。 7月3日午前5時兵庫発[15]伊予三ゲ浜(三津浜港?)、豊後鶴崎長浜に寄港し、7月8日午後1時佐賀関[16]。 翌9日午前6時に同地を出港し、午後6時から1時間ほど細島港口で発砲を行った[16]。 10日に三ゲ浜に寄港、12日正午神戸に到着した[16]。 24日神戸、大坂の間を2往復した[16]。 8月5日正午に神戸発、石炭積み込みで下田港に寄港するなどし[16]、 8月15日午後2時、品海に帰着した[17]

1878年(明治11年)3月26日、冲鷹丸北海道福島湾で暴風に遭い[18] 沈没、砲などが失われた[19]。 また船長の堀口貞之の外4名が波にさらわれて行方不明になった[18]

その後

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1882年(明治15年)に開拓使が廃止され、冲鷹丸は4月8日に農商務省へ引き継がれた[20]。 その後は北海道運輸会社(後の共同運輸会社)ヘ貸し出されたが、機関の不調で函館港に繋留されていた[21]1883年(明治16年)に同様に貸し出された函館丸の機関を修理する際に、その代金の一部とし共同運輸会社ヘ無償下附することが上申され、9月5日許可された[5]

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e f g #浅井(1928)p.38、冲鷹 ちゆうよう Tyûyô.
  2. ^ a b c d e f g h 中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.32、沖鷹丸(初代)『ちゅうようまる』
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p #M1-M9海軍省報告書画像74-75、明治八年艦船総数表
  4. ^ a b #M10公文類纂前13/沖鷹丸と雷電丸と交換の件画像17
  5. ^ a b #公文類聚7-58/沖鷹丸無償下付画像2
  6. ^ a b #造船史明治(1973)p.500
  7. ^ a b c d #M10公文原書17/雷電沖鷹附品等目録の義画像17-18
  8. ^ a b #M10公文原書20/沖鷹丸へ大小砲設備の義画像5
  9. ^ #M10公文原書17/雷電沖鷹附品等目録の義画像23
  10. ^ #M7公文類纂13/名義並番号(1)画像33-34「甲四套五百六号 四拾馬力舩 金龍 帆前舩 墨水 右石川嶋於修舩所当時製造致居候ニ付前書ノ通舩号御治定相成度此段申出候也 第十一月四日 主船寮 本省御中」「冲鷹 乗風 右乃通可相改事 一月十九日 安房」
  11. ^ #M9公文類纂12/雷電丸と沖鷹丸と交換の件画像1「過日安田少判官ヲ以テ及御示談置候当使附属船雷電丸ト御省所轄沖鷹丸ト交換之義何日頃御運ヒ相成候哉当使ニ於テハ何時ニテモ差支無之候条否御確答有之度此段及御掛合候哉 九年十二月十五日 開拓長官黒田清隆 海軍大輔川村純義殿」
  12. ^ #M10布達/2月画像6、明治10年2月14日丙第25号。「今般当省所轄冲鷹丸開拓使所轄雷電丸交換候ニ付右雷電丸之儀東海鎮守府所轄被 仰付候條此旨為心得相達候事」
  13. ^ #M10公文原書20/沖鷹丸へ大小砲設備の義画像6
  14. ^ #M10禀裁録/西南征討事件ニ付航海ノ諸費請求画像1、当使附属舩征討事件ニ付航海ノ諸費受取方ノ義伺
  15. ^ a b c #M10禀裁録/西南征討事件ニ付航海ノ諸費請求画像14
  16. ^ a b c d e #M10禀裁録/西南征討事件ニ付航海ノ諸費請求画像15
  17. ^ #M10禀裁録/西南征討事件ニ付航海ノ諸費請求画像16
  18. ^ a b #M11申奏録上/船長外四名行方不知画像1
  19. ^ #M11公文類纂後編24/譲渡兵器開拓使より返償の件画像1-2,5
  20. ^ #M15申奏録/諸船舶引継済之件画像2-4、諸船舶引継済ノ様上申
  21. ^ #公文類聚7-58/沖鷹丸無償下付画像1

参考文献

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  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 国立公文書館
    • 『記録材料・海軍省報告書第一』。Ref.A07062089000。 
    • 『公文類聚・第七編・明治十六年・第五十八巻・運輸二・船舶車輌・船灯・津港・灯台・礁標/汽船沖鷹丸機関老朽ニ付無代価ニテ共同運輸会社ヘ下付シ函館丸改造ノ資ニ補充セシム』。Ref.A15110666000。 
    • 防衛省防衛研究所
    • 『公文類纂 明治7年 巻13 本省公文 艦船部1/名義並番号(1)』。Ref.C09112102200。 
    • 『公文類纂 明治9年 巻12 本省公文 艦船部/往入993 雷電丸と沖鷹丸と交換の件に付開拓使照会』。Ref.C09112175500。 
    • 『公文類纂 明治10年 前編 巻13 本省公文 艦船部3/往出71 沖鷹丸と雷電丸と交換の件開拓使へ回答』。Ref.C09112327200。 
    • 『公文類纂 明治11年 後編 巻24 本省公文 器械部1/往入2085 10年中譲渡兵器開拓使より返償の件兵器局上申』。Ref.C09113025900。 
    • 『公文原書 巻17 本省公文 明治10年2月21日~明治10年2月22日/往入487の2 主船局より雷電沖鷹附品等目録の義上申』。Ref.C09100111900。 
    • 『公文原書 巻20 本省公文 明治10年2月27日~明治10年2月28日/往出360 開拓使沖鷹丸へ大小砲設備の義太政官より通牒東海鎮守府へ達』。Ref.C09100128300。 
    • 『明治10年 海軍省布達全書/2月』。Ref.C12070002300。 
    • 北海道立文書館
    • 『禀裁録 自明治十年一月至同年十二月/開拓使附属船西南征討事件ニ付航海ノ諸費請求ノ件』。Ref.G18020124000。 (北海道立文書館)
    • 『申奏録 上 自明治十一年一月至同十一月/沖鷹丸船長堀口貞之外四名、行方不知ノ件』。Ref.G18020128000。 (北海道立文書館)
    • 『申奏録 全 明治十五年/諸船舶引継済之件』。Ref.G18020208100。 
  • 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』第一法規出版、1995年。
  • 造船協会/編『日本近世造船史 明治時代』 明治百年史叢書 第205巻、原書房、1973年(原著1911年)。 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 

関連項目

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