コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

沢山精八郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

沢山 精八郎(澤山、さわやま せいはちろう、1855年12月11日安政2年11月3日[1][2]) - 1934年昭和9年)3月21日[1][3])は、明治から昭和時代初期の政治家実業家銀行家貴族院多額納税者議員

経歴

[編集]

肥前大村藩士[1]・沢山熊右衛門の長男として生まれる[2]長崎広運館にて英学を修める[3]。1899年(明治32年)家督を相続した[2]。島原水電、沢山汽船、沢山兄弟商会[1]、遠洋漁業、九州汽船各社長、長崎銀行頭取、長崎製鉄所取締役などを歴任した[3]。ほか、長崎市名誉参事会員、同市会議員、長崎商業会議所副会頭などを務めた[3]

1925年(大正14年)長崎県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[4]から1932年(昭和7年)9月28日まで在任した[3]。在任中は研究会に所属した[3]

親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d 上田ほか 2001, 890頁.
  2. ^ a b c 『大正人名辞典 第3版』1756頁。
  3. ^ a b c d e f 衆議院、参議院 編 1960, 196頁.
  4. ^ 『官報』第3931号、大正14年9月30日。
  5. ^ a b c d e f 沢山精八郎『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  6. ^ 津村重舎『人事興信録』第14版 下

参考文献

[編集]
  • 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
  • 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3034963 
  • 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496