沢山精八郎
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沢山 精八郎(澤山、さわやま せいはちろう、1855年12月11日(安政2年11月3日[1][2]) - 1934年(昭和9年)3月21日[1][3])は、明治から昭和時代初期の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]肥前大村藩士[1]・沢山熊右衛門の長男として生まれる[2]。長崎広運館にて英学を修める[3]。1899年(明治32年)家督を相続した[2]。島原水電、沢山汽船、沢山兄弟商会[1]、遠洋漁業、九州汽船各社長、長崎銀行頭取、長崎製鉄所取締役などを歴任した[3]。ほか、長崎市名誉参事会員、同市会議員、長崎商業会議所副会頭などを務めた[3]。
1925年(大正14年)長崎県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[4]から1932年(昭和7年)9月28日まで在任した[3]。在任中は研究会に所属した[3]。
親族
[編集]- 妻の松(1867年生)は高知県士族・千谷敏徳の三女[5]
- 長男・喜多路(1882年生)- 慶應義塾大学部理財科卒。妻・秀子(1884年生)は小崎利準の四女[5]
- 三男・昇吉(1890年生)[5]
- 四男・市松(1893年生)[5]
- 五男・國治(1905年生)[5]
- 六男・信吉(1908年生)- 妻・豊子(1914年生)は津村重舎の娘[6][5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。