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河万濮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

河 万濮(ハ・マンボク、朝鮮語: 하만복/河萬濮1911年[1]または1914年1月30日[2] - 1965年8月2日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国実業家[3]政治家。第2代韓国国会議員。本貫晋陽河氏朝鮮語版[4]河 万僕(読み、ハングル同/河萬僕)という表記も見られる[2]

ジャーナリスト趙鏞寿朝鮮語版の母方のおじである[5]

経歴

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慶尚南道晋州市大谷面丹牧里生まれ。漢文修学。朝鮮時代は海産物委託販売で大金を稼いで、晋陽郡で河信商事会社を経営し、釜山ゴム工場も設置した資産家だった。地元の行事や水害にもよく寄付をした。解放後は南朝鮮過度政府立法議員、反民族行為特別調査委員会委員を務めた。1948年の初代総選挙では4895票を得て落選したものの、1950年の第2代総選挙では無所属で晋陽郡選挙区から出馬して、11164票で国会議員に当選した[1][2]

エピソード

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1934年、多くの住民が戸税(住民税)を払えないと聞くと、親の残した遺産を使い2000ウォンを代納した[2][6]

脚注

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  1. ^ a b 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年8月31日閲覧。
  2. ^ a b c d 진주성-하만복(河萬僕)전 국회의원”. 경남도민신문 (2018年1月31日). 2024年8月31日閲覧。
  3. ^ 模範的實業靑年(모범적실업청년) 河萬濮氏(하만복씨)”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1937年8月17日). 2024年8月31日閲覧。
  4. ^ 晉陽河氏大同譜 六卷”. p. 404. 2024年8月31日閲覧。
  5. ^ “조용수 (趙鏞壽)” (朝鮮語), 韓国民族文化大百科事典 (韓国学中央研究院), https://encykorea.aks.ac.kr/Article/E0068436 2024年8月31日閲覧。 
  6. ^ 六千餘極貧者戶稅(육천여극빈자호세) 二千餘圓(이천여원)을代納(대납)”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1934年6月18日). 2024年8月31日閲覧。