河村伊蔵
河村伊蔵 | |
---|---|
生誕 |
1865年11月15日 (旧暦慶応元年9月27日) 尾張国知多郡内海村 (現・愛知県南知多町) |
死没 | 1940年2月5日(79歳没) |
国籍 | 日本 |
別名 | モイセイ河村伊蔵 |
出身校 | 詠隊学校 |
職業 | 教会営繕、聖職者 |
子供 | 内井進 |
建築物 |
函館ハリストス正教会 豊橋ハリストス正教会 白河ハリストス正教会 |
モイセイ河村伊蔵(もいせい かわむら いぞう、1865年11月15日 - 1940年2月5日)は正教会の神品(聖職者)で、明治・大正期に同教会の建築営繕を担った建築家。「モイセイ」は聖名[1]。息子の内井進、また孫のガウリイル内井昭蔵も建築家[2]。
略歴
[編集]- 1860年 - 現在の愛知県の南知多町に生まれる。
- 1883年 - 内海正教会(現存せず)で洗礼を受ける。
- 神田駿河台の正教会の詠隊学校で学んだ後、副輔祭として聖堂の庶務に就き、のち、各地の聖堂の建築にあたるようになる。
- 1915年頃[3] - 輔祭に叙聖され、教団の不動産・財産の管理を担当するようになる。
- 1933年 - 長輔祭に叙聖。
- 1937年7月 - 司祭に叙聖。
- 1940年2月5日 - 永眠。墓所は雑司ヶ谷霊園。
主な仕事
[編集]建造物名 | 年 | 所在地 | 状態 | 備考 |
---|---|---|---|---|
松山ハリストス正教会復活聖堂 | 1908年(明治41年) | 松山市 | 愛媛県現存せず | |
大阪ハリストス正教会生神女庇護聖堂 | 1910年(明治43年) | 大阪市中央区 | 現存せず | |
修善寺ハリストス正教会顕栄聖堂 | 1912年(明治45年) | 伊豆市 | 静岡県||
豊橋ハリストス正教会聖使徒福音記者マトフェイ聖堂 | 1913年(大正2年) | 豊橋市 | 愛知県重要文化財 | |
白河ハリストス正教会生神女進堂聖堂 | 1915年(大正4年) | 白河市 | 福島県||
函館ハリストス正教会主の復活聖堂 | 1916年(大正5年) | 函館市 | 北海道重要文化財 | |
金成ハリストス正教会聖使徒イオアン聖堂 | 1931年(昭和6年) | 栗原市 | 宮城県設計指導、設計は息子の内井進 | |
釧路ハリストス正教会聖神降臨聖堂 | 1932年(昭和7年) | 釧路市 | 北海道現存せず | |
札幌ハリストス正教会主の顕栄聖堂 | 1936年(昭和11年) | 北海道札幌市 |
-
白河ハリストス正教会
建築の系譜
[編集]聖亜使徒ニコライは、布教を成功させるためには絵師と建築師を必要と考えていた。河村には建築の心得はなかったが、聖ニコライに見込まれ、建設が進む東京大聖堂(ニコライ堂)の現場で信徒大工のワシリー岡本(岡本鶴蔵)やフォマ尾林から木造技術を学んだ。1901年、松室重光の設計で建設が行われていた京都ハリストス正教会聖堂に聖ニコライから建築監理にたびたび派遣された。日露戦争後、ロシア篤志家からの寄付もあり各地に聖堂建築が続々と建設計画が持ち上がり、フォマ尾林とワシリー岡本と協力しそれらの設計と施工監理を行った。設計は聖ニコライから渡された宗務局承認参考図譜に忠実に従ったもので、大阪ハリストス正教会、函館ハリストス正教会、豊橋ハリストス正教会、白河ハリストス正教会、釧路ハリストス正教会、札幌ハリストス正教会などの教会設計・建築監督に携わっている。 子の内井進も建築設計を本業とし、正教会聖堂の設計も手がけるが、宗務局承認参考図譜にとらわれない比率を用いている。金成ハリストス正教会・小田原ハリストス正教会の旧聖堂、およびニコライ堂のイコノスタスの設計に関わっていた。なお、金成ハリストス正教会の旧聖堂は設計を内井進が担当し、建築監督を河村伊蔵が担当している。孫のガウリイル内井昭蔵も建築家であり、世田谷美術館、浦添市美術館、皇居・吹上御苑の新御所などを手がけた。
エピソード
[編集]大津事件の際、ロシア皇太子(のちのニコライ2世)を見舞うニコライ主教に同行していた[4]。
参考文献
[編集]- 内井昭蔵『ロシアビザンチン 黄金の環を訪ねて』丸善 ISBN 978-4-621-03548-1
- 八木谷涼子編『別冊太陽 日本の教会をたずねて 日本のこころ-119』平凡社
- 泉田英雄「日本におけるハリストス正教会聖堂建築の研究」google sites
脚注
[編集]- ^ 出典:内井昭蔵『ロシアビザンチン 黄金の環を訪ねて』丸善 ISBN 978-4-621-03548-1 (6頁)
- ^ “モイセイ河村伊蔵 – 大阪文化財ナビ”. 2022年11月8日閲覧。
- ^ 出典:八木谷涼子編『別冊太陽 日本の教会をたずねて 日本のこころ-119』平凡社。「頃」とある年代は参考文献に「1915年ころ」とあるものをそのまま反映したもの。
- ^ 牛丸康夫『日本正教史』(第二部第三章:大津事件、82頁~85頁)日本ハリストス正教会教団
外部リンク
[編集]- [1] - 市立函館博物館のサイト