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河村只雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

河村 只雄(かわむら ただお、1893年 - 1941年)は、日本の社会学者。

略歴

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山口県熊毛郡勝間村生まれ。1920年同志社大学第二神学部卒業。満州大連YMCA勤務。キリスト教徒であり、渡米しシカゴ大学神学部入学、社会学に転科、24年卒業。大学院に学び28年社会学博士。同年帰国、文部省専門学務局学生調査課嘱託、学生思想問題の調査にあたる。29年立教大学文学部教授[1]。32年国民精神文化研究所発足と同時に所員(兼任)。36年から沖縄南西諸島台湾民俗学的調査を行う。満47歳で死去。

社会学者の河村望は子。

著書

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  • 『家族の起源』国民精神文化研究所 1935
  • 『思想問題年表』編 青年教育普及会 1936
  • 『私有財産制度論』清揚社 1936
  • 『私有財産制度の研究』日本文化協会出版部 国民精神文化研究 1938
  • 『親子中心の家族と社会秩序』国民精神文化研究所 1939
  • 『南方文化の探究』創元社 1939 のち講談社学術文庫
  • 『続南方文化の探究 薩南,琉球の島々』創元社 1942
  • 『アメリカンニグロ米国黒人の研究』藤井書店 1943

翻訳

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参考

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  • 今井隆太「国民精神文化研究所における危機の学問的要請と応答の試み : 藤澤親雄・大串兎代夫・作田荘一・河村只雄」『ソシオサイエンス』第7巻、早稲田大学大学院社会科学研究科、2001年3月、165-183頁、CRID 1050001202520712320hdl:2065/9442ISSN 1345-8116 

脚注

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  1. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション 『立教大学一覧 昭和8年3月』 1933年