河村嘉一郎
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河村 嘉一郎(かわむら かいちろう、1885年(明治18年)8月7日[1] - 1943年(昭和18年)10月17日[1])は、佐賀県出身の実業家、政治家。初代唐津市長。
経歴
[編集]1885年(明治18年)旧唐津藩士・河村藤四朗の長男として、佐賀市赤松町で生まれる。旧制唐津中学、旧制岡山第六高校を経て、1911年(明治44年)、東京帝国大学法科、政治学科を卒業。一時渡鮮したが、1923年(大正12年)帰郷。唐津銀行に入り取締役支配人となる。のち唐津電気製鋼所社長、唐津薫業(株)専務取締役、唐津製紙(株)社長、唐津製綿(株)監査役、唐津商工(株)監査役、小倉東洋車輌(株)常務取締役などを務め、唐津実業界の発展に貢献した。 1932年(昭和7年)、唐津市施行に当たって初代市長となった。産業、観光都市の建設を市政の抱負として掲げ、唐津築港、鏡山登山道開設、上下水道施設、松浦橋の移転架橋、松浦河口の埋め立て(現栄町、千代田町)、シーサイドホテル(旧)の建設などを推し進めた。その業績は現在も高く評価されている。市長は一期だけで終え、東京に移り没した。58歳で死去。
家族
[編集]- 高祖父 ‐ 河村道有
- 曽祖父 - 河村道伯(御典医)
- 祖父- 河村如茂(唐津藩士)
- 父-河村藤四朗(唐津藩士、政治家、実業家)
- 叔父 - 河村 如壽(唐津藩士、唐津村初代村長)
- 岳父・大島小太郎 ‐ 唐津銀行頭取。[2]