コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

河瀬真

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
河瀬真

河瀬 真(かわせ まこと、1883年明治16年)9月21日[1] - 1953年昭和28年)1月24日[1][2])は、明治末から昭和前期の海軍軍人政治家華族。最終階級は海軍少将貴族院子爵議員

経歴

[編集]

東京府出身[1]官僚河瀬真孝の三男として生まれる[3][4]1906年(明治39年)3月、海軍機関学校(14期)を卒業し、同年12月、海軍機関少尉任官[1]

海軍水雷学校学生、海軍工機学校普通科学生、海軍大学校機関学生として研鑽を積んだ[1]高千穂分隊長、安芸分隊長、機関学校教官兼監事、鞍馬分隊長、千歳分隊長、第一艦隊司令部附、兼連合艦隊司令部附などを務め、1917年(大正6年)12月、海軍機関少佐に昇進[1]。父の死去に伴い1919年(大正8年)11月10日、子爵を襲爵[3][5]。同年12月、横須賀鎮守府附となり私費で欧米各国に留学し、1922年(大正11年)11月に帰国した[1]

1922年11月20日、海軍教育本部員(三部)に就任し、以後、機関学校教官兼監事、海軍燃料廠研究部長を歴任し、1925年(大正14年)12月、海軍機関大佐1931年(昭和6年)12月1日、海軍少将と昇進し、軍令部出仕を経て、1933年(昭和8年)12月11日待命、同月15日予備役編入となった[1][6][7]

1939年(昭和14年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[8][9]研究会に所属して活動[2][2]商工省参与、商工省委員、内閣委員などを務めた[2]。1940年に石油液化の先駆者として朝日賞を受賞[10]1946年(昭和21年)4月17日に貴族院議員を辞職した[2][11][12]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[13]

栄典

[編集]
位階
勲章等

親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h 『日本海軍史』第9巻、827頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』41頁。
  3. ^ a b c d e 『平成新修旧華族家系大成』上巻、462頁。
  4. ^ 『人事興信録』第13版 上、カ197頁。
  5. ^ 『官報』第2181号、大正8年11月11日。
  6. ^ 『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』271頁。
  7. ^ 『日本海軍将官辞典』127頁。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、47頁。
  9. ^ 『官報』第3758号、昭和14年7月17日。
  10. ^ 東京朝日新聞 昭和15年1月10日
  11. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、55頁。
  12. ^ 『官報』第5796号、昭和21年5月14日。
  13. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」28頁。
  14. ^ a b c d e f g h i j 海軍少将子爵河瀬真外五名叙勲並勲章加授ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113319300 
  15. ^ 『官報』第6076号「叙任及辞令」1903年10月1日。

参考文献

[編集]
  • 人事興信所編『人事興信録』第13版 上、1941年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第9巻、第一法規出版、1995年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。


日本の爵位
先代
河瀬真孝
子爵
河瀬(真孝)家第2代
1919年 - 1947年
次代
華族制度廃止