沼田徳重
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沼田 徳重 | |
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生誕 |
1887年(明治20年)7月17日 日本 茨城県 |
死没 | 1939年8月12日(52歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1907 - 1939 |
最終階級 | 陸軍中将 |
沼田 徳重(ぬまた とくしげ、1887年(明治20年)7月17日 - 1939年(昭和14年)8月12日)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将正四位勲一等功二級[1]。茨城県那珂郡額田村(現在の那珂市)出身。
教育総監部高級課員として陸軍軍隊教育の改革を先導、特に戦闘綱要の改正編纂を行った。また、東京帝国大学の配属将校を務め、軍隊教育関係の著作を発表するなど、軍隊教育の発展に努めた。
経歴
[編集]- 1905年(明治38年)3月 - 茨城県立太田中学校(現在の茨城県立太田第一高等学校)卒業
- 1907年(明治40年)6月 - 陸軍士官学校卒業(19期)
- 1910年(明治43年)2月 - 陸軍歩兵中尉
- 1912年(大正元年)12月 - 陸軍大学校入学
- 1915年(大正4年)12月 - 陸軍大学校卒業(27期)・近衛歩兵第2連隊中隊長
- 1917年(大正6年)8月 - 陸軍歩兵大尉・参謀本部部員(第1部第2課演習班)
- 1919年(大正8年)12月 - 第1師団参謀
- 1923年(大正12年)3月 - 陸軍歩兵少佐・歩兵第14連隊(小倉)大隊長
- 1927年(昭和2年)7月 - 陸軍歩兵中佐・陸軍工兵学校教官兼教育総監部第1課高級課員兼陸軍大学教官
- 1931年(昭和6年)8月 - 陸軍歩兵大佐・東京帝国大学配属将校
- 1933年(昭和8年)12月 - 千葉連隊区司令官
- 1936年(昭和11年)8月 - 陸軍少将・第2師団司令部附
- 1937年(昭和12年)9月 - 歩兵第26旅団長(仙台)
- 1939年(昭和14年)3月 - 陸軍中将・第114師団長(山東省済南駐屯)
- 8月 - 福岡陸軍病院にて逝去
栄典
[編集]- 勲章等
主要著作
[編集]- 『軍隊教育要論』(昭和7年、兵書出版社)
- 『国府台古戦史』(昭和11年、房総郷土研究会)
脚注
[編集]- ^ 「第二十一回事変論功行賞 栄の七千五十八柱 故沼田中将、初の功二級」大阪朝日新聞 1940年(昭和15年)3月27日 神戸大学附属図書館新聞記事文庫
- ^ 『官報』第3682号「叙任及辞令」1939年4月17日。
参考文献
[編集]- 関真幸編著「智将沼田徳重小伝」(昭和59年、私家版)
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。