泉二勝磨
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泉二 勝磨(もとじ かつま、1905年-1944年10月3日)は、昭和初期に活動した日本の彫刻家。
経歴
[編集]後に大審院院長となる泉二新熊の子として東京市に生まれる。東京美術学校を卒業後、1931年(昭和6年)にフランスにわたり、ジャン・デュナンに師事。1939年(昭和14年)に帰国後、二科展に彫塑を10点出品した[1]。
続く1940年(昭和15年)の二科展に「朔雲童児」出品、さらに翌1941年(昭和16年)に「東郷大将バルチック艦隊を睨む」を出品して二科会員に推された。その後、多摩帝国美術学校にて講師を務め、1944年10月3日に死去[2]。多磨霊園に墓所が存在する。
脚注
[編集]- ^ 白衣の勇士も新入選『中外商業新報』(昭和14年8月31日),『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p565 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ “「泉二勝磨」『日本美術年鑑』昭和19・20・21年版(95頁)”. 東京文化財研究所 (2021年). 2022年7月26日閲覧。
関連項目
[編集]- ノルマンディー (客船) - 師のジャン・デュナンとともに船内の改装に参加した