泉大津市立戎小学校
泉大津市立戎小学校 Ebisu elementary school | |
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北緯34度30分07秒 東経135度23分41秒 / 北緯34.50196度 東経135.39485度座標: 北緯34度30分07秒 東経135度23分41秒 / 北緯34.50196度 東経135.39485度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 泉大津市 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B127210004960 |
所在地 | 〒595-0044 |
外部リンク | 公式サイト |
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泉大津市立戎小学校(いずみおおつしりつ えびすしょうがっこう)は、大阪府泉大津市河原町にある公立小学校。
沿革
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明治5年(1872年)7月1日、南溟寺の堂字を借り、それを仮庁舎とし郷小学校大津分校として創立。当時の本校は穴師村大字池浦にあった。
明治6年(1873年)5月、郷学校大津分校が独立し、第19番小学となる。当時の組合区域は、泉群宇田大津、下条大津、忠岡村、磯ノ上村、虫取村、二田村、助松村であった。
明治8年(1875年)5月、第19番小学から大津小学校に改称。
明治8年(1875年)6月、組合区域が、大津村下条大津、全宇多大津、穴師村字虫取、上条村字二田となる。
明治9年(1876年)、上、中、下の三小学科を併置。
明治15年(1882年)3月、小学校令改正のため、初等、中等の両小学科を併置。
明治17年(1884年)11月、生徒増により、分教場を宇多大津村阿弥陀寺本堂に設置。
明治18年(1885年)7月、敷地を下条大津244、246番地とし、新校舎建設に着手。
明治19年(1886年)1月15日、大津小学校新築落成。ガラス窓、ペンキ塗りの洋風式の建物。
明治19年(1886年)12月、小学校中等科を廃止。
明治20年(1887年)4月1日、学制の改正により、大津尋常小学校と改称する。大津簡易小学校を併置する。従来の級から、学年へと変わる。
明治20年(1887年)12月1日、大津高等小学校を増設する。
明治21年(1888年)4月、下条小馬町にあった大津村役場を本小学校構内に移転。
明治21年(1888年)12月、訓導岩附正宣氏、初代校長として兼務を命じられる。
明治21年(1888年)12月末、生徒数196名、本年度経費477円29銭5厘
明治23年(1890年)9月1日、大津簡易小学校を廃止する。
明治26年(1893年)4月1日、小学校令改正により、大津尋常小学校と大津高等小学校の2校を併置する。両方とも修業は4年であった。通学区は大津村のみとなる。しかし、穴師村、上条村、忠岡村の高等科生は、寄付金を受けて就学を承認する。穴師村大字虫取りのみは、尋常科生のみ就学を許可する。
明治26年(1893年)7月1日、大津尋常小学校と大津高等小学校を併せて、大津尋常高等小学校と改称する。
明治26年(1893年)10月19日、裁縫専門科を併設し、小学校を卒業した女子の入学を許可。修業年限3年。
明治28年(1895年)4月1日、高等科生徒増により、2学級となる。
明治28年(1895年)4月21日、明治27、28年の戦役による陸軍戦利品の榴弾1個、小銃1丁、三角剣1本が下附される。
明治28年(1895年)7月20日、校舎が大破損したため改修工事を行う。約2か月で工事終了。
明治28年(1895年)12月1日、穴師村に高等小学校が新設され、同村出身者は転出。
明治30年(1897年)6月1日、尋常小学校生徒増により、4学級となる。
明治31年(1898年)11月15日、16日、天皇の行幸に際し奉送迎を行う。
明治32年(1899年)4月1日、他村からの高等科生徒を遮断する。寄付金に関する契約も自然消滅する。
明治34年(1901年)4月1日、尋常科児童増により、5学級編成となる。穴師村大字虫取より、年額8年の寄付を受け、尋常科に入学を許可。小学校令改正のため、授業時間数が尋常科1年は21時間、2年は24時間、3・4年は27時間、高等科は男子28時間女子30時間となる。
明治35年(1902年)4月1日、高等科に入学する他村の生徒は、月30銭の授業料を納める他、更に寄付金として年額1円80銭を4月と10月に分納させる。小学校教科書が国定となる。
明治35年(1902年)5月19日、高等科に英語の科目を加えて必須科とする。但し女子は随意。
明治35年(1902年)7月24日、裁縫専修科を大津尋常高等小学校附設裁縫学校と改称。修業年限3年の上に1年の専修科を設ける。
明治35年(1902年)9月8日、下条大津にコレラ発生のため1週間休校となる。
明治35年(1902年)10月25日、高等科を2学級とする。
明治36年(1903年)4月1日、尋常科を6学級に高等科を2学級に編成する。
明治36年(1903年)7月8日、大津川堤防決壊し、校舎浸水。清掃整理のため、7月10日より19日まで休校する。
明治37年(1904年)4月1日、他村から就学するものは、授業料の他、寄付金として年6円を4月と10月に分納させる。
明治40年(1907年)9月27日、日露戦争の戦利品として、軍刀、銃等を下賜される。
明治41年(1908年)4月1日、小学校令改正により、尋常科の修業年限を6年に延長し、高等科を2年とした。これにより教室が不足し、大津織物会社所有の建物を借用し、仮教室2室設け、大津尋常高等小学校分校と称した。
明治41年(1908年)6月3日、伏見宮貞愛親王、特命検閲使として通過するため、大津駅で職員、児童が奉送迎した。
明治42年(1909年)2月1日、欠席児童多数のため、許可を受けて簡易就学の方法として3学級を編成し、夜間学級を開始。
明治42年(1909年)6月5日、校舎校地が狭くなり、戎町31番地に新校舎建設のため地鎮祭を行う。併せて、大運動会を開催。来賓多数で、花火の打ち上げ、楽隊の演奏もあった。敷地面積2218坪5合
明治42年(1909年)7月30日、新校舎建設のため、7000円の起債申請をおこなう。
明治43年(1910年)5月16日、新校舎落成。落成式を待たず移転、授業を開始する。附設裁縫学校も同時に移転する。敷地料1318円30銭、土木費1730円97銭、建築費13594円64銭、設備費541円35銭、雑費1085円78銭、総計19271円4銭
明治43年(1910年)5月31日、仮庁舎の児童も新庁舎へ移転し、移転完了する。
明治43年(1910年)10月5日、本年度より、神社祭典日を10月5日と、泉北郡が統一、この日に合わせ新築落成式を行う。余興とし打上煙火、児童作品展、生徒遊戯、銃剣道、米蝶一座の手踊、盆栽展等が行われる。
明治44年(1911年)7月12日、体力向上と精神鍛錬を行い、海事思想を養成する目的のため、水泳科を創設。
明治45年(1912年)7月26日、天皇が病気になり、児童に平癒を祈ることを諭す。
明治45年(1912年)7月31日、天皇崩御。哀悼式を行う。
大正元年(1912年)10月10日、尋常5年以上を職員6名で引率し、伏見桃山陵に参拝する。
大正元年(1912年)12月2日、運動場に回旋塔を建設する。
太守2年(1913年)1月14日、大阪府下の児童展覧会を3日間開く。府下から多数の観覧者があった。
大正3年(1914年)4月1日、普通教室1室を増設。
大正3年(1914年)4月11日、皇太后崩御。哀悼式を行う。
大正3年(1914年)5月24日、皇太后大喪。午後3時遙拝式。25,26日弔意のため休業。
大正3年(1914年)11月5日、校旗を新調し授与式を行う。
大正4年(1915年)4月1日、泉北郡大津村を大津町と改称し、町制となる。
大正4年(1915年)4月5日、町制祝賀のため、午後1時旗行列。夜間提灯行列を行う。
大正4年(1915年)10月26日、天皇の御真影が下賜される。
大正4年(1915年)11月10日、今上天皇即位の大典、戎小学校でも奉祝式が行われる。
大正4年(1915年)11月16日、午後5時より、大典を奉祝し、全校児童の提灯行列を実施。
大正4年(1915年)11月17日、千載一遇の盛典を記念し、職員一同より石灯籠1基を築山に建立。
大正5年(1916年)5月4日、教育に関する沙汰の写しを発給される。
大正5年(1916年)10月26日、皇后の御真影を下賜される。
大正5年(1916年)11月3日、皇太子、立太子礼のため、奉賀式を行う。
大正6年(1917年)4月3日、校庭にて、故陸海軍人招魂祭を挙行する。
大正6年(1917年)5月8日、皇太子、浜寺へ行敬に際し、戎小学校児童職員が諏訪ノ森で奉迎する。皇太子が綱引きを観覧。綱引きには戎小学校尋常科6年から高等科2年の16名の選手と、泉北12校の指揮者として、戎小学校職員が参列。
大正6年(1917年)5月26日、5月8日の綱引きに参加した児童には金50疋、職員には200疋下賜される。
大正8年(1918年)7月1日、独対連合国平和条約締結のため、臨時休校とする。
大正8年(1918年)12月16日、大津実業補修学校を併設する。入学者23名。
大正9年(1919年)10月30日、教育勅語下賜30周年記念式を行う。
大正9年(1919年)12月1日、雨天体操場45坪を増築する。
大正11年(1922年)3月31日、裁縫学校を大津実業補修学校女子部に改める。修業前期2年後期2年とする。実業補修学校の校則を変更し、授業科を廃止、学科目制度とし専任教員を置く。生徒増加し72名。
大正11年(1922年)7月1日、創立50周年記念、学制発布50周年記念式典、旗行列、学芸会を開催し、参加者多数。
通学区域
[編集]- 青葉町、上之町、戎町、河原町、汐見町、式内町(*調整区域有り)、下之町、清水町、神明町(調整区域有り)、高津町、田中町(調整区域有り)、西港町、東港町(調整区域有り)、本町、夕凪町、若宮町(*調整区域有り)[1]
- ※卒業後は基本的に泉大津市立誠風中学校に進学する。
脚注
[編集]関連項目
[編集]参考文献
[編集]記念誌編集委員会(昭和47年)『戎の100年』1872~1972 泉大津市立戎小学校