法住
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智幢房法住 | |
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享保8年(1723年) - 寛政12年(1800年 ) | |
生地 | 大和 |
没地 | 長谷寺 |
宗旨 | 真言宗 |
宗派 | 豊山派 |
寺院 | 長谷寺 |
師 | 無等 |
法住(ほうじゅう、享保8年5月6日(1723年6月8日) - 寛政12年5月10日(1800年7月1日))は、真言宗豊山派の第32代能化であり、八指摩業を定め豊山派の学問隆盛に努めた。
生涯
[編集]法住は、享保8年(1723年)5月6日に大和国(奈良県)に生まれ、16歳で得度した。
18歳の時に法隆寺の任山について沙弥戒をうけ、19歳の時に豊山の無等について教相事相を学んだ。しかし、なお疑念が残ったので、25歳の時、他の学問をしようと京都に入り、三論を戒月に、性相を華開院湛然に、『大日経疏』を智積院浄空に学んだ。さらに、東大寺性善に3年ついて密乗を研鑽し、さらに京都久修園祢契にしたがって、『四分戒本』と南山の『行事鈔』を習った。
安永9年(1780年)に根来山の左学頭になり、寛政3年(1791年)に豊山能化に就任、寛政8年(1796年)に退き、寛政12年(1800年)5月10日に他界した。
業績
[編集]法住は、寛政3年(1791年)3月に根来山左学頭から豊山小池坊の能化に昇進し、4月10日に入山就任した。これ以後、彼はひたすら豊山教学の発展に考えをめぐらせて、同年6月10日には、学業に努める法案を山内に募り、同9月12日には、この案をまとめて「十指摩業」という原案ができたが、はじめてであるからという理由で五指摩業という形で行われた。ところが、五指でははじめの目的が達せられなくなったために、翌年に八指摩業に改められ、寛政5年(1793年)9月に、八指摩業が制定され、豊山派の学問隆盛の元を創った。
主な著作
[編集]- 『秘密因縁管弦相成義』
- 『金七十論疏』
参考文献
[編集]- 隆慶『豊山伝通記』
- 櫛田良洪『真言密教成立過程の研究』