波多野尹政
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波多野 尹政(はたの ただまさ、1844年9月26日(弘化元年8月15日[1]) - 1907年(明治40年)9月27日[2][3])は、明治時代の官吏。実業家。銀行家。下総牧羊場(現宮内庁下総御料牧場)第2代場長[4]。日本における牧羊の嚆矢[2][3]。
経歴
[編集]相模小田原藩士[2]。塚本権左衛門の三男として生まれ[1]、広瀬藩陪臣・波多野勇次の養子となる[2]。維新の際は勤王党に属した[2]。1873年(明治6年)下総で牧羊を始め、翌年岩手厚雄、李田登太らと勧業寮14等出仕を拝命する[2]。勧業権少属などを経て農務局、会計局に勤務したのち1884年(明治17年)宮内権少書記官に任じ1886年(明治19年)官を辞した[2]。1901年(明治34年)四谷銀行を創立し同頭取を務めた[2]。ほか、教育事業にも携わった[2][3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年 。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。
- 友田清彦. “下総牧羊場の系譜(2)”. 農村研究 (東京農業大学農業経済学会) 97: 70-81. ISSN 03888533 2021年10月10日閲覧。.