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津上研蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

津上 研蔵(つがみ けんぞう、1900年3月17日[1] - 没年不詳)は、日本機械工学者、実業家

経歴

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津上嶮路の四男として、福岡県糸島郡北崎村(現・福岡市)に生まれる。津上製作所(現・ツガミ)創業者津上退助は実兄。1920年福岡県中学修猷館[2]、1922年3月第五高等学校理科乙類[3]を経て、1925年3月九州帝国大学工学部機械工学科を卒業[4][1]

卒業後、三菱鋼業に入社。1928年津上製作所に転じ、1929年技師長となる。1940年名古屋帝国大学工学部教授[5]、および愛知県工学試験所部長を兼ね、1945年津上製作所取締役に選ばれ、1947年常務に進む[1]。1964年5月津上文化機器販売社長に就任[6]

機械学会(現・日本機械学会)評議員、長岡市商工会議所理事[1]、日本小型工作機械工業会(現・日本精密機械工業会)会長[6]なども務めている。

脚注

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  1. ^ a b c d 『人事興信録第17版』(人事興信所、1953年) ツ-1頁
  2. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員15頁
  3. ^ 『第五高等学校一覧(自昭和11年至昭和12年)』(第五高等学校、1936年)303頁
  4. ^ 『九州帝国大学一覧(昭和14年)』(九州帝国大学、1939年)410頁
  5. ^ 『名古屋帝国大学一覧(昭和17年)』(名古屋帝国大学、1943年)222頁
  6. ^ a b 『人事興信録第23版』(人事興信所、1966年) ツ-1頁