津久井郵便局
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津久井郵便局 | |
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基本情報 | |
正式名称 | 津久井郵便局 |
前身 | 中野郵便局 |
局番号 | 02025 |
設置者 | 日本郵便株式会社 |
所在地 |
〒252-0157 相模原市緑区中野578-1 |
位置 |
北緯35度35分02.0秒 東経139度15分30.5秒 / 北緯35.583889度 東経139.258472度座標: 北緯35度35分02.0秒 東経139度15分30.5秒 / 北緯35.583889度 東経139.258472度 |
貯金 | |
店名 | ゆうちょ銀行 代理店 |
保険 | |
店名 | かんぽ生命保険 代理店 |
特記事項 | |
ATMホリデーサービス実施 |
津久井郵便局(つくいゆうびんきょく)は神奈川県相模原市緑区にある郵便局。民営化前の分類では集配普通郵便局であった。
概要
[編集]住所:〒252-0157 神奈川県相模原市緑区中野578-1
民営化直前の集配業務再編において、多くの集配普通郵便局は統括センターとなったが、当局は配達センターとされたため、民営化後も郵便事業株式会社の支店は併設されず、集配センターが併設された。
その後2010年(平成22年)4月、相模原市の政令指定都市移行にあわせ郵便集配拠点が再編されたことに伴い、集配センターは廃止された。
分室
[編集]現在はなし。過去に存在した分室は以下。
沿革
[編集]- 1882年(明治15年)6月26日 - 中野郵便局(五等)として開設[3]。
- 1885年(明治18年)10月1日 - 貯金取扱を開始。
- 1888年(明治21年)5月1日 - 為替取扱を開始。
- 1897年(明治30年)3月26日 - 中野郵便電信局となる。
- 1903年(明治36年)4月1日 - 通信官署官制の施行に伴い中野郵便局となる。
- 1958年(昭和33年)9月11日 - 津久井郵便局に改称[4]。
- 1968年(昭和43年)8月20日 - 電話交換および和文電報配達業務を津久井電報電話局に移管。
- 1983年(昭和58年)8月21日 - 鳥屋郵便局から集配業務の一部[5]を移管。
- 1985年(昭和60年)3月1日 - 風景入通信日付印の使用を開始。
- 2005年(平成17年)3月22日 - 青野原郵便局から集配業務を移管[6]。
- 2007年(平成19年)10月1日 - 民営化に伴い、併設された郵便事業相模原橋本支店津久井集配センターに一部業務を移管。
- 2008年(平成20年)3月31日 - 相模原市津久井町青根1911に、津久井青根分室を設置。
- 2010年(平成22年)4月5日 - 津久井集配センターを廃止。同センターの業務は郵便事業相模原橋本支店に承継された。同日、津久井センター設置により集配業務を開始、旧津久井集配センターエリア+旧相模湖集配センターの内、若柳、寸沢嵐、寸沢嵐(新戸)地区を引き継ぐ[7]。
- 2011年(平成23年)9月30日 - 津久井青根簡易郵便局の設置に伴い、津久井青根分室を廃止[2]。
- 2012年(平成24年)10月1日 - 日本郵便株式会社発足。
取扱内容
[編集]周辺
[編集]アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ 同様に、閉鎖簡易局の補完として分室が暫定的に設置された例は、2009年(平成21年)10月までに全国に4例(当分室の他は、新井郵便局新井長沢分室(新潟県妙高市)、羅臼郵便局岬町分室(北海道目梨郡羅臼町):岬町簡易郵便局の再開に伴い廃止、上田郵便局上五明分室(長野県埴科郡坂城町):上五明簡易郵便局の再開に伴い廃止)存在するが、当分室がその最初のケースである。
- ^ a b 開局:津久井青根簡易郵便局(神奈川県) - 郵便局
- ^ 山口修監修 『全国郵便局沿革録 明治編』 日本郵趣出版 1980年12月28日発行
- ^ 昭和33年9月20日付官報(第9525号)郵政省告示第九百八十四号
- ^ 鳥屋郵便局は同日、集配業務を廃止。当局に移管されなかった集配業務は七沢郵便局に移管された。
- ^ 日本郵政公社ホームページ「郵便局の改廃情報」平成17年3月10日発表分
- ^ 平成22年1月付「相模原市相模湖町の皆さまへ」告知