コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

津田喜章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
つだ よしあき
津田 喜章
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 宮城県石巻市
生年月日 (1972-11-09) 1972年11月9日(51歳)
最終学歴 北海道大学農学部卒業
勤務局 NHK仙台放送局
部署 コンテンツセンター
職歴 青森秋田(2001.4 - 2006.3)→仙台(2006.4 - )
活動期間 1997年 -
ジャンル 地域
配偶者 あり
出演番組・活動
出演中 本文参照
出演経歴 本文参照

津田 喜章(つだ よしあき、1972年11月9日 - )は、NHKチーフアナウンサー

人物

[編集]

宮城県石巻高等学校を経て北海道大学農学部を卒業後、1997年入局[1]

入局以来、東北地方での勤務を続けている。仙台放送局に赴任してから実に18年間のも間、1度も異動していないが、これはNHKの正職員アナウンサーでは極めて異例である。テレビで定時ニュースを担当する際、冒頭の挨拶をしない(「おはようございます、こんにちは、こんばんは、」とは言わない)ことが多く、定時ニュースの最後の挨拶の場面でも、切り替わったカメラに一礼をするものの挨拶をしない。また、ラジオの定時ニュースを担当する際も、余程時間が余った場合等を除いては、自身の名前を名乗らないことが多い。

  • 東北地方での勤務が長くなる中、東日本大震災で実家も被災しふるさとは変わり果て、一部の友人を津波などで亡くすという状況の中で関連報道に取り組む[2]。地元民ということで被災者の声を紹介する番組の担当に指名され、その中で全国から寄せられる「頑張れ、頑張れ」という声に対し「頑張れない人は(無理して)頑張るな」という怒りのメッセージを発し、ネット上などで「怒れるアナウンサー」として注目を集めるようになる。[2]
  • この姿勢は以後も変わっておらず、放送ではなかなか伝えきれない被災地の真の姿を知ってほしいと、番組・ブログなどで情報を発信し続けている[3]
  • 2024年1月1日に発生した令和6年能登半島地震について、1月13日放送の『被災地からの声 次の一歩』オープニング後の挨拶で被災者へお悔みの言葉を述べると同時に「東北の私たちも完全に同じことを13年前(東日本大震災)に経験しました。当時は私たちも絶望し、“もう終わった”と思いました。でも、先に被災した私たちは、“いずれ必ず復興に向かう”という事実も知っています。今は信じられないと思いますが、どうか経験者を信じて、何とかあと少し辛抱していただければと思います。」とコメントしている[4]
  • 好きな食べ物は魚介類全般。

担当番組

[編集]

太字は出演中

青森放送局時代(1997年度 - 2000年度)
秋田放送局時代(2001年度 - 2005年度)
仙台放送局時代(2006年度 - )
ゆうどきネットワーク➝ゆうどきでも仙台局からこのコーナーを担当した。
※「まっさんのふるさと通信」コーナーでさだまさし亘理町に連れて行き、被災地の現状を見せた。なおさだ自身は笑福亭鶴瓶の誘いでその数か月前に『鶴瓶の家族に乾杯』で津田のふるさと石巻市を訪ねている。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 2023年7月14日23時50分台担当。
  2. ^ 2023年7月16日2時30分台・3時30分台担当。

出典

[編集]
  1. ^ NHK全国アナウンサー名鑑『NHKウィークリーステラ』
  2. ^ a b 津田喜章「NHK仙台・名物キャスター「頑張れ」と言わないで」、『文藝春秋』(2011年6月号)、文藝春秋
  3. ^ NHK仙台blog
  4. ^ 【キャスター津田より】1月13日放送「福島県 双葉町」”. 知っとく東北. NHK仙台放送局 (2024年1月15日). 2024年1月19日閲覧。

外部リンク

[編集]