津田辰参
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津田 辰参 | |
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生誕 |
1886年4月1日 日本 熊本県 |
死没 | 1965年10月13日(79歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1907年 - 1940年 1941年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
津田 辰参(つだ ときかず[1]、1886年(明治19年)4月1日[2] - 1965年(昭和40年)10月13日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功三級[1]。
経歴
[編集]1886年(明治19年)に熊本県で生まれた[2]。陸軍士官学校第19期卒業[1]。1936年(昭和11年)5月6日に歩兵第49連隊留守隊長に就任し[1]、8月1日に陸軍歩兵大佐に進級した[1]。1937年(昭和12年)9月に歩兵第149連隊長(上海派遣軍・第101師団・歩兵第101旅団)に転じ[1]、日中戦争に出動[2]。上海戦では郊外のクリークでの大激戦を戦い[2]、武漢攻略戦では九江、廬山での激戦を制した[2]。南昌作戦では第11軍主力として出動し[2]、修水渡河作戦で戦果を収めた[2]。
1939年(昭和14年)8月1日に陸軍少将に進級と同時に留守第6師団司令部附となり[1][2]、1940年(昭和15年)3月9日に待命[1]、3月30日に予備役に編入された[1]。1941年(昭和16年)3月1日に召集され、教育総監部附となり[2]、1945年(昭和20年)3月31日に熊本連隊区司令官兼熊本地区司令官に就任した[3]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[5]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。