津軽信興
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津軽信興像 | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 元禄8年7月28日(1695年9月6日) |
死没 | 享保15年11月25日(1731年1月3日) |
改名 | 磐麻呂(幼名)、信興 |
戒名 | 端巌院 |
墓所 | 東京都台東区上野の津梁院 |
官位 | 従五位下右京亮、越中守 |
藩 | 陸奥弘前藩世嗣 |
氏族 | 津軽氏 |
父母 | 津軽信寿、松平忠尚養女・法雲院 |
兄弟 |
信興、著教、於染、負正院寿法栄心、 松平信清正室ら |
妻 | 近衛家熙養女・綱姫 |
子 | 信著、脇坂安興正室、松平忠恒正室 |
津軽 信興(つがる のぶおき)は、江戸時代中期の陸奥国弘前藩の世嗣。官位は従五位下・右京亮、越中守。
生涯
[編集]5代藩主・津軽信寿の嫡男として誕生。母は松平忠尚の養女・法雲院。宝永3年(1706年)4月25日、5代将軍・徳川綱吉に拝謁する。宝永7年(1711年)12月23日、従五位下・右京亮に叙任される。享保15年(1730年)7月13日、越中守に選任する。しかし麻疹を患い、同年11月25日、藩主就任前に死去した。享年36。
家督は信興の長男・信著が相続した。信著は藩主就任当時13歳であった。
系譜
[編集]参考文献
[編集]- 『青森県史』第2巻