コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

津高町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
つだかちょう
津高町
津高町章
廃止日 1971年1月8日
廃止理由 編入合併
津高町一宮町高松町 → 岡山市
現在の自治体 岡山市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
御津郡
市町村コード 33304-2
面積 49.59[1][2] km2.
総人口 8,471
(昭和45年国勢調査、1970年
隣接自治体 岡山市、御津郡一宮町、御津町吉備郡足守町
町長 小河等隆[3][4]
津高町役場
所在地 701-11
岡山県御津郡津高町大字栢谷1682番地[1][2]
座標 北緯34度43分37秒 東経133度54分23秒 / 北緯34.72686度 東経133.90631度 / 34.72686; 133.90631
地図
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

津高町(つだかちょう)は、かつて岡山県御津郡にあったである。1971年昭和46年)1月8日岡山市に編入され廃止された。現在は同市北区津高地域となっている。

歴史

[編集]

古くは大部分が備前国津高郡津高郷に属した。応仁文明の頃から松田氏が支配し、1600年慶長5年)には小早川秀秋1603年(慶長8年)には池田忠継岡山藩主に封ぜられ、以後池田氏の所領となり明治維新に至った。

1889年明治22年)6月1日の町村制施行により、野谷村馬屋上村横井村が発足した。1953年昭和28年)にこれら3村の合併が検討されたが実現には至らず、1955年(昭和30年)に野谷村と馬屋上村が合併して津高村が発足した。その後、岡山市への編入を前提として津高村と横井村との合併が協議され、1959年(昭和34年)に津高町が発足した。

1971年1月8日、津高町は岡山市に編入合併され、町制時の12大字のうち中原は津高と改称して他の11大字とともに同市の大字に継承された。

沿革

[編集]
  • 1889年(明治22年)6月1日 町村制施行。
    • 栢谷村・吉宗村・菅野村が合併して津高郡野谷村が発足。
    • 三和村・富吉村・田原村・日応寺村が合併して津高郡馬屋上村が発足。
    • 中原村・富原村・横井上村・田益村が合併して津高郡横井村が発足。
  • 1900年(明治33年)4月1日 津高郡が御野郡と合併して御津郡となる。
  • 1953年(昭和28年)7月1日 野谷村に御津町高野の一部を編入。
  • 1955年(昭和30年)3月1日 野谷村と馬屋上村が合併して津高村が発足。
  • 1959年(昭和34年)2月1日 津高村と横井村が合併して津高町が発足。
  • 1971年(昭和46年)1月8日 津高町が岡山市に編入される。
  • 2009年(平成21年)4月1日 岡山市が政令指定都市に移行し、津高の行政区は北区となる。

人口

[編集]
1950年(昭和25年) 8,610人
1955年(昭和30年) 8,510人
1960年(昭和35年) 8,369人
1965年(昭和40年) 8,108人
1970年(昭和45年) 8,471人
総務省統計局 / 国勢調査1970年

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]

参考文献

[編集]
  • 岡山県総務部統計課 編『岡山県市町村勢要覧』 昭和44年刊、岡山県統計協会、岡山、1970年10月1日。doi:10.11501/9528441NCID BA43334715OCLC 703790315 
  • 山陽新聞社 編『山陽年鑑』 昭和46年版、山陽新聞社、岡山、1970年10月1日。doi:10.11501/9572432NCID BN03632797OCLC 703818864 
  • 岡山市企画室企画課 編『岡山市と周辺市町村合併の記録』岡山市、岡山、1971年4月30日。doi:10.11501/9773871NCID BN06753652OCLC 672970922 
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 33巻《岡山県》、角川書店、東京、1989年7月8日。doi:10.11501/12288356ISBN 978-4-04-001330-5NCID BN00094881OCLC 673246624 

関連項目

[編集]