津高町
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つだかちょう 津高町 | |||
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廃止日 | 1971年1月8日 | ||
廃止理由 |
編入合併 津高町、一宮町、高松町 → 岡山市 | ||
現在の自治体 | 岡山市 | ||
廃止時点のデータ | |||
国 | 日本 | ||
地方 | 中国地方(山陽地方) | ||
都道府県 | 岡山県 | ||
郡 | 御津郡 | ||
市町村コード | 33304-2 | ||
面積 | 49.59[1][2] km2. | ||
総人口 |
8,471人 (昭和45年国勢調査、1970年) | ||
隣接自治体 | 岡山市、御津郡一宮町、御津町、吉備郡足守町 | ||
町長 | 小河等隆[3][4] | ||
津高町役場 | |||
所在地 |
〒701-11 岡山県御津郡津高町大字栢谷1682番地[1][2] | ||
座標 | 北緯34度43分37秒 東経133度54分23秒 / 北緯34.72686度 東経133.90631度 | ||
ウィキプロジェクト |
津高町(つだかちょう)は、かつて岡山県御津郡にあった町である。1971年(昭和46年)1月8日に岡山市に編入され廃止された。現在は同市北区の津高地域となっている。
歴史
[編集]古くは大部分が備前国津高郡津高郷に属した。応仁・文明の頃から松田氏が支配し、1600年(慶長5年)には小早川秀秋、1603年(慶長8年)には池田忠継が岡山藩主に封ぜられ、以後池田氏の所領となり明治維新に至った。
1889年(明治22年)6月1日の町村制施行により、野谷村・馬屋上村・横井村が発足した。1953年(昭和28年)にこれら3村の合併が検討されたが実現には至らず、1955年(昭和30年)に野谷村と馬屋上村が合併して津高村が発足した。その後、岡山市への編入を前提として津高村と横井村との合併が協議され、1959年(昭和34年)に津高町が発足した。
1971年1月8日、津高町は岡山市に編入合併され、町制時の12大字のうち中原は津高と改称して他の11大字とともに同市の大字に継承された。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)6月1日 町村制施行。
- 栢谷村・吉宗村・菅野村が合併して津高郡野谷村が発足。
- 三和村・富吉村・田原村・日応寺村が合併して津高郡馬屋上村が発足。
- 中原村・富原村・横井上村・田益村が合併して津高郡横井村が発足。
- 1900年(明治33年)4月1日 津高郡が御野郡と合併して御津郡となる。
- 1953年(昭和28年)7月1日 野谷村に御津町高野の一部を編入。
- 1955年(昭和30年)3月1日 野谷村と馬屋上村が合併して津高村が発足。
- 1959年(昭和34年)2月1日 津高村と横井村が合併して津高町が発足。
- 1971年(昭和46年)1月8日 津高町が岡山市に編入される。
- 2009年(平成21年)4月1日 岡山市が政令指定都市に移行し、津高の行政区は北区となる。
人口
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総務省統計局 / 国勢調査(1970年) |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 岡山県総務部統計課 1970, p. 27.
- ^ a b 山陽新聞社 1970, p. 192.
- ^ 岡山県総務部統計課 1970, p. 28.
- ^ 山陽新聞社 1970, p. 288.
参考文献
[編集]- 岡山県総務部統計課 編『岡山県市町村勢要覧』 昭和44年刊、岡山県統計協会、岡山、1970年10月1日。doi:10.11501/9528441。 NCID BA43334715。OCLC 703790315。
- 山陽新聞社 編『山陽年鑑』 昭和46年版、山陽新聞社、岡山、1970年10月1日。doi:10.11501/9572432。 NCID BN03632797。OCLC 703818864。
- 岡山市企画室企画課 編『岡山市と周辺市町村合併の記録』岡山市、岡山、1971年4月30日。doi:10.11501/9773871。 NCID BN06753652。OCLC 672970922。
- 角川日本地名大辞典編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 33巻《岡山県》、角川書店、東京、1989年7月8日。doi:10.11501/12288356。ISBN 978-4-04-001330-5。 NCID BN00094881。OCLC 673246624。