浅井政元
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 天文17年(1548年) |
死没 | 天正元年9月1日(1573年9月26日) |
官位 | 玄蕃頭 |
主君 | 浅井長政 |
氏族 | 浅井氏 |
父母 | 父:浅井久政、母:不明 |
兄弟 |
長政、政元、政之、岡崎安休、治政、 阿久姫、大弐局、京極マリア |
浅井 政元(あざい まさもと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。浅井氏の家臣。
来歴
[編集]浅井久政の次男として誕生。浅井家の財政管理を行っていたという。また、智謀にも優れ、参謀役として兄・長政を補佐した。
天正元年(1573年)、羽柴秀吉を総大将とする織田軍の小谷城攻め(小谷城の戦い)で、落城寸前まで戦い抜き自害した。享年26。
系譜
[編集]- 『寛政重修諸家譜[1]』には記載がない。
- 『柳営婦女伝[2]』には記載がない。
- 『諸家系図纂(続群書類従)[3]』には記載がない。
- 『東浅井郡誌[4]』では『浅井三代記』に登場する海津長門守政元が「亮政聟」とされていることから、海津政元というのは、久政の娘婿で海津を本拠とする田屋氏の出身の浅井明政の「偽名」であるとしている。
- ウィキソースには、浅井三代記/海津信濃守政義謀叛の事の原文があります。
出典
[編集]- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年4月19日閲覧。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年4月19日閲覧。
- ^ “国立公文書館デジタルアーカイブ”. 2024年4月19日閲覧。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年4月19日閲覧。