浅井茂猪
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浅井 茂猪(あさい しげい、1889年(明治22年)1月4日[1] – 1956年(昭和31年)5月22日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。ジャーナリスト。
経歴
[編集]高知県安芸郡羽根村(現在の室戸市)出身[1]。高知県立第一中学校を卒業し、小学校に勤務した[1]。その後、早稲田大学に入り、1917年(大正6年)に政治経済科を卒業した[3]。『土陽新聞』記者となり、シベリア出兵に従軍記者として派遣された[1]。その後、土陽新聞社社長に就任した[3]。また高知市会議員、同参事会員、高知県会議員、同副議長に選出された[2]。
1938年(昭和13年)、衆議院議員に補欠当選を果たした。
その他、高知県書籍雑誌商組合長、高知木工工芸学校長などを務めた[3]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 憲政と土佐 pp.149-150 1962.
- ^ a b 衆議院議員名鑑 1962.
- ^ a b c 早稲田大学紳士録 pp.23 1939.
参考文献
[編集]- 早稲田大学紳士録刊行会編『早稲田大学紳士録』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。
- 板垣会『憲政と土佐』板垣会、1941年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。