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浅越桂一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浅越 桂一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岡山県都窪郡妹尾町(現・岡山市南区)
生年月日 (1936-07-02) 1936年7月2日
没年月日 (2011-08-06) 2011年8月6日(75歳没)
身長
体重
172 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手外野手三塁手遊撃手
プロ入り 1955年
初出場 1955年
最終出場 1964年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

浅越 桂一(あさごえ けいいち、1936年7月2日[1] - 2011年8月6日)は、岡山県都窪郡妹尾町(現・岡山市南区)出身のプロ野球選手内野手外野手)。

来歴・人物

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関西高等学校では1954年夏の甲子園予選東中国大会決勝に進むが、米子東高のエース義原武敏に抑えられ、延長10回0-1xでサヨナラ負け、甲子園出場を逸する。高校の1年上に吉岡史郎がいた。

1955年大阪タイガースに入団。小柄ながら体格がよく期待された。背番号3に変更した1958年には、開幕からレギュラー二塁手として起用される。シーズン後半は辰市邦輔に定位置を譲るが48試合に先発出場を果たした。翌年も70試合に出場するが、鎌田実が台頭し1960年には出場機会が激減。1961年からは主に外野手として起用され、代打としても活躍。同年には代打サヨナラホームランを放つ。1962年東映フライヤーズとの日本シリーズでは3試合に代打として出場するが、無安打に終わる。1964年中堅手として8試合に先発出場したのみであったが、南海ホークスとの日本シリーズでは4試合に出場、第2戦では右翼手として先発し、2点適時打を放つ。1965年限りで現役を引退。引退後は、阪神タイガースの用具係を経て同球団の管理部次長の職に就いた[2]

2011年8月6日、脳梗塞のため兵庫県西宮市の病院で死去。満75歳没[2]

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1955 大阪
阪神
8 8 8 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1957 36 40 40 2 4 1 0 0 5 0 0 1 0 0 0 0 0 5 3 .100 .100 .125 .225
1958 74 194 181 16 37 6 0 6 61 16 0 1 0 0 12 0 1 48 4 .204 .258 .337 .595
1959 70 132 131 5 30 2 2 2 42 8 1 0 0 0 0 0 1 31 6 .229 .235 .321 .555
1960 18 21 21 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 7 2 .048 .048 .048 .095
1961 41 74 72 3 19 5 1 3 35 8 0 1 1 1 0 0 0 18 5 .264 .260 .486 .746
1962 12 13 12 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 6 0 .083 .154 .083 .237
1963 10 14 14 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .143 .143 .143 .286
1964 49 64 60 4 14 2 0 2 22 4 0 1 0 0 2 0 2 16 1 .233 .281 .367 .648
通算:9年 318 560 539 30 108 16 3 13 169 36 1 4 1 1 15 0 4 135 21 .200 .227 .314 .541
  • 大阪(大阪タイガース)は、1961年に阪神(阪神タイガース)に球団名を変更

背番号

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  • 57 (1955年 - 1957年)
  • 3 (1958年 - 1965年)

脚注

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関連項目

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外部リンク

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