浅部和七郎
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あさべ わしちろう 浅部 和七郎 | |
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生誕 |
1843年??月??日 岡山県倉敷市 |
死没 | 1883年11月22日(40歳没) |
国籍 | 日本 |
別名 | 光重(名) |
職業 | 実業家 |
浅部 和七郎(あさべ わしちろう、1843年 - 1883年11月22日)は、岡山県窪屋郡子位庄(現・倉敷市)出身の実業家。
来歴
[編集]1843年、窪屋郡小位庄で生まれる[1]。叔父である忠義と木綿栽培、材木業、漁業を営んでいた[1]が成功しなかった[1]。
1876年、開業資金を得て、廃坑となっていた中庄村の猿曳山銅山の再掘を始める[1]。出費がかさむ事から、採掘事業は解散した[1]が、和七郎一人踏みとどまり、新抗を試みていたところ鉱脈に接することに成功[1]した。
また、早島村金田山廃坑の再掘を開始[1]。多くの銅鉱を採掘し、巨額の富を得た[1]。
巨額の利益を得たことから、数十町の田畑を買い[1]、更に船舶を買い、海運業を始めた[1]。
1883年11月22日、病で死去。享年41。
人物
[編集]剛毅で温厚な性格。公共のために尽くし、私財を投じ貧者を救恤した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 吉岡三平 監修『岡山人名辞典』 日本文教出版、1978年。