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浅野保

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

浅野 保(あさの たもつ、1886年明治20年)8月1日 - 1955年昭和30年)8月30日)は、大正昭和期の歌人

人物

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岐阜県羽島郡江吉良村(現・羽島市)出身。高等小学校卒業後、商業に従事しながら短歌を作る。1908年(明治41年)、竹柏会に入り、佐佐木信綱に師事する[1]二州会を設立[1]

1923年(大正12年)2月1日には、春日井瀇・三田澪人らとともに名古屋短歌会を設立した[2]。名古屋短歌会および同会の後身である中部短歌会においては、その機関誌『短歌』の編集発行人を長年にわたって務めた[1]。また、その他にも名古屋短詩型連盟においても幹事を務めるなど、当地における短歌文化の振興に力を尽くした[1]大塚寅彦によれば、昭和初期の頃には芸者置屋を経営していたという[3]。晩年は印刷業を営んだ[4]

1955年(昭和30年)、名古屋市中村区中村町において亡くなった[1]。没後は春日井瀇が中部短歌会の編集発行を引き継ぎ、さらに瀇没後はその長男である春日井建が継承した。

著作

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  • 『評釈前線秀歌』教学書房、1942年。 
  • 『叢桂集』中部短歌会、1950年9月25日。ASIN B01H1MNIOO 

脚注

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参考文献

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  • 愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 編『角川日本姓氏歴史人名大辞典23 愛知県』角川書店、1991年10月30日。ISBN 4-04-002230-0