浅香末起
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浅香 末起(あさか すえき、1896年11月10日[1] - 1971年[2])は、日本の植民政策学者。
経歴・人物
[編集]福岡藩士族徳島徳の四男として福岡県に生まれる[3]。1914年福岡県立中学修猷館[4]、1917年第二高等学校[5]を経て、1921年3月京都帝国大学経済学部を卒業[6]。京大在学中に浅香家に迎えられ結婚し、浅香に改姓した[7]。
1921年4月日本銀行に入行するが、研究者を志し、1923年2月台北高等商業学校(現・国立台湾大学管理学院)講師に就任、1924年5月同教授に昇任する。1931年2月大阪商科大学(現・大阪市立大学)助教授に転じ、1933年3月同教授に昇任する。1935年10月から1年間、植民政策研究のため欧米に留学し、1941年7月より1944年9月まで、大阪商科大学に在籍したまま外務省事務嘱託を務める。終戦後1946年4月、その研究内容から公職追放により大阪商科大学を退職する。1947年11月貿易会社を設立し経営。1951年9月公職追放が解除され、近畿大学商学部教授に就任[8]。
1953年10月名城大学法商学部教授に就任。その後同大において、法商学部長、および1967年4月同学部が分離した商学部長を歴任する。1969年3月定年退職[8]。
著書
[編集]- 『銀行論』(宝文館、1926年)
- 『ジャワ経済界の現況と蘭印の原始産業』(台北高商南支南洋研究会、1930年)
- 『満洲移民問題と実績調査』(岩波書店、1937年)
- 『世界経済の展開過程』(日本評論社、1940年)
- 『南方事情』(上下二巻)(大阪市産業部、1942年)
- 『南方交易論』(千倉書房、1943年)
- 『南洋経済研究』(千倉書房、1943年)
- 『大南方経済論』(太平洋書館、1944年)
脚注
[編集]- ^ 『「現代物故者事典」総索引(昭和元年〜平成23年) II 学術・文芸・芸術篇』(日外アソシエーツ、2012年)p.20
- ^ 『人物物故大年表 日本人編 Ⅱ(1946-2004)』(日外アソシエーツ、2006年)p.229
- ^ 『人事興信録 第14版』(人事興信所、1943年) ア-84頁
- ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員10頁
- ^ 『第二高等学校一覧(自大正9年至大正10年)』(第二高等学校、1920年)269頁
- ^ 『京都帝国大学一覧(自大正14年至大正15年)』(京都帝国大学、1926年)卒業生姓名659頁
- ^ 寺沢正雄「浅香末起教授定年退職記念論文集刊行に際して」名城商学第18巻第4号 浅香末起教授定年退職記念号(名城大学商学会、1969年)1-6頁
- ^ a b 「浅香末起教授略歴・主要著作目録」名城商学第18巻第4号 浅香末起教授定年退職記念号(名城大学商学会、1969年)183-185頁