コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

鹿島瞳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浜野瞳から転送)
獲得メダル
日本の旗 日本
競泳
世界短水路選手権
1997 ヨーテボリ 女子200mバタフライ
アジア競技大会
1998 バンコク 女子100mバタフライ
1998 バンコク 女子200mバタフライ

鹿島 瞳(かしま ひとみ、1980年2月26日 - )は、日本水泳指導者、元女子競泳選手。本名:濵野 瞳(はまの・ひとみ)。

人物

[編集]

東京都豊島区出身。日本大学文理学部体育学科[1]

東京立正高等学校在学中[2]1996年の日本水泳選手権の200mバタフライで1位となり、アトランタオリンピック日本代表となった。アトランタオリンピックでは100mで4位となったが得意の200mでは決勝に残れず14位に終わった[3]

1997年世界短水路選手権200mバタフライで銀メダル、1998年バンコクアジア大会では100m、200mでそれぞれ銅メダルを獲得した。

2000年シドニーオリンピックには出場できず、2001年宮城国体を最後に引退した。

鹿島の現役当時のバタフライでは潜水泳法が認められており200mバタフライで日本記録を作ったが、同泳法が禁止となった4年後にその記録を三田真希が更新した[4]

引退後に結婚し、夫の実家がある和歌山県白浜町に移住した。現在は近隣の田辺市にあるタナベスポーツプラザでコーチとして指導に当たっている[5]ほか、オリンピアンであることから県水泳連盟でもジュニア世代の強化育成を担当している。

3学年間隔で産んだ2女2男も全員競泳選手であり、県水連のジュニア強化指定を受ける子もいる[6]。本人が投稿するSNSの内容も、ほぼ4児の活動報告になっている。

脚注

[編集]
  1. ^ 日本大学(日大文理のアスリートたち)
  2. ^ アトランタ大会出場日本選手・競泳”. JOC. 2011年5月22日閲覧。
  3. ^ JOC企画テレビ番組オリンピックへの道”. 日本オリンピック委員会 (1998年6月). 2011年5月22日閲覧。
  4. ^ 雌伏1年決意新たに”. 西日本新聞 (2001年7月). 2011年5月22日閲覧。
  5. ^ タナベスポーツプラザ(スタッフ紹介)
  6. ^ 2023年度(令和5年度)和歌山県強化指定選手” (PDF). 一般社団法人和歌山県水泳連盟 (2023年7月29日). 2023年8月23日閲覧。

外部リンク

[編集]