海野三次郎
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うみの さんじろう 海野三次郎 | |
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生誕 |
1866年5月1日 駿河国庵原郡平山村 (現在の静岡県静岡市葵区) |
死没 | 1939年7月??日(74歳没) |
国籍 | 日本 |
職業 | 起業家、弓道家 |
著名な実績 | 台湾での建設業 |
海野 三次郎(うみの さんじろう、1866年5月1日(慶応2年3月17日[1]) - 1939年(昭和14年)7月[2](p61))は、駿河国庵原郡出身の実業家。
経歴
[編集]1866年(慶応2)駿河国庵原郡平山村(現静岡市葵区平山)にて出生[1]。幼少時より日置流雪荷派として弓術を嗜む[2](p57)。
1895年(明治28)、20歳時に軍人として台湾に出征[3](pp368-369)。
1900年(明治33)30歳時に民間人として台湾に再渡航し[2](p57)、日系建設請負業の久米組に入社[2](p58)。
1903年(明治36)1月独立し、海野組を創業[2](p58)[3](pp259)、同業者の組合で幹部となる。高雄劇場株式会社監察役や民間の消防組で副組長も務めた[2](p58)。
1916年(大正5)、家業を婿養子の利作に譲り、消防組などの職位も退く[3](pp368-369)。隠居後は大日本弓術協会打狗支部の弓道師範として、全国弓術大会に台湾代表として出場するなど、競技普及に貢献した[2](p59)[3](pp368-369)。
1918年には大相撲の打狗興行を成功させた[2](p59)。
1939年(昭和14)7月、74歳で病死[3](pp368-369)。その後も海野組は飛躍を遂げ、当時の高雄で一、二を争う規模となっていた[2](p58)。
栄典
[編集]脚注
[編集]関連項目
[編集]西子湾隧道(台湾・高雄市にある海野組が建設した歩行者トンネル)