海音寺
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海音寺 | |
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所在地 | 愛知県常滑市大野町3丁目11 |
位置 | 北緯34度56分14.7秒 東経136度49分28.6秒 / 北緯34.937417度 東経136.824611度座標: 北緯34度56分14.7秒 東経136度49分28.6秒 / 北緯34.937417度 東経136.824611度 |
山号 | 福聚山 |
宗旨 | 臨済宗 |
宗派 | 妙心寺派 |
本尊 | 釈迦如来坐像 |
創建年 | 1320年(元應2年) |
開山 | 雪林友梅禅師 |
札所等 | 四国直伝弘法八十八ヶ所霊場第74番 |
法人番号 | 8180005012338 |
海音寺(かいおんじ)は、愛知県常滑市大野町3丁目11にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は福聚山[1][2]。本尊は釈迦如来坐像[1]。元應2年(1320年)創建[1]。四国直伝弘法八十八ヶ所霊場第74番札所[1]。
伊勢湾に面する大野海水浴場のすぐ南に位置し、寺号の通り打ち寄せる波の音が境内まで聞こえる[2]。
歴史
[編集]元應2年(1320年)、京都・相国寺の雪庭玄白禅師(和尚)によって嶺南山海国寺(かいこくじ)として創建された[1][2]。自身の師匠である雪林友梅禅師を開山に据え、自身は2代目住職という扱いで入寺した[1]。7代までは相国寺(臨済宗相国寺派)の末寺だった[1]。
天正11年(1583年)には織田信長の三男である織田信孝が野間の安養院で自害したが、信孝の葬儀は海音寺で営まれたとされ、海音寺は信孝の位牌を有する[2]。
明暦3年(1657年)、8代が本堂を建立。臨済宗妙心寺派に転派し、名称を福聚山海音寺(かいおんじ)に改めた[1][2]。
1925年(大正14年)には四国直伝弘法八十八ヶ所霊場(直伝弘法さん)が開設され、海音寺は第74番札所に選ばれた。知多半島のもう一つの弘法信仰である知多四国霊場とは異なる。
文化財
[編集]常滑市指定文化財
[編集]- 「銅製鰐口」 - 1601年。
現地情報
[編集]所在地
[編集]アクセス
[編集]脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 第七十四番 大野 海音寺 四国直伝弘法八十八ヶ所霊場