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涌井昭治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

涌井 昭治(わくい しょうじ、1927年11月29日[1] - 2012年7月5日)は、日本の新聞記者、ジャーナリスト。九州朝日放送の社長も務めた。

経歴

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神奈川県横浜市出身。1953年東京大学文学部を卒業し、同年に朝日新聞社に入社[1]。朝日新聞社では、週刊朝日編集長、取締役などを歴任した[1]

1989年6月に九州朝日放送専務に就任し副社長を経て[1]1991年6月から1997年6月までに社長を務め、1997年6月から会長を務めた[1]

日本雑誌協会の常務理事、理事を歴任した[2]

2012年7月5日老衰のために死去[3]。84歳没。

著書に「イッピー番外地 アメリカのかくれた顔」と「東京新誌 山手線いまとむかし」がある。

脚注

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参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第40版 下』人事興信所、1999年。