コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

淑安公主

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
淑安公主
宗親世
公主
出生年 崇徳元年4月28日1636年6月1日
没死年 康熙36年12月22日1698年2月2日
実父 孝宗
実母 仁宣王后
配偶者 洪得箕
子女 洪致祥
テンプレートを表示

淑安公主(しゅくあんこうしゅ、スガンコンジュ、숙안공주、崇徳元年4月28日1636年6月1日) - 康熙36年12月22日1698年2月2日))は、李氏朝鮮第17代国王孝宗仁宣王后の娘。第18代国王顕宗の同母姉。第19代国王粛宗の伯母。

生涯

[編集]

1636年6月1日孝宗の次女として誕生。1649年に祖父であった仁祖崩御し、父が即位すると淑安公主に封じられた。1651年、夫の洪得箕(ホン・ドッキ)に降嫁し、夫は益平尉に封じられる[1]

1689年に発生した己巳換局で悪行を犯したとして、息子の洪致祥が処刑されてしまった。息子の仇を取るため、妹の淑明公主と共に、国王の伯母として国政にも関与。己巳換局で廃位された仁顕王后の復位運動にも西人派として協力。1698年、62歳で息を引き取った。

家族

[編集]

登場作品

[編集]
テレビドラマ

脚注

[編集]
  1. ^ 《효종실록》, 효종 즉위년(1649년 청 순치(順治) 6년) 6월 9일 (정유)
  2. ^ 「上下敎政院, 錦林君女子之喪, 令該曹優給喪需. 孝宗朝, 淸國九王, 欲與我國結婚, 遣使要得公主, 孝宗重違其意, 選宗室錦林君愷胤女, 稱以義順公主, 送與九王.」朝鮮王朝実録 顕宗実録5巻、顕宗3年8月18日 戊午2回目