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淡路プラッツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

特定非営利活動法人淡路プラッツ(あわじぷらっつ)は、不登校者やニートなどを支援するNPO法人である[1]。生活支援、自立支援を目的とした通所施設(フリースペース)を運営する。

大阪市東淀川区に所在する[1]。団体名称の「淡路プラッツ」は所在地の地名の「淡路」と、ドイツ語で「場所」を意味する「プラッツ」を合わせたものである[2]

沿革

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淡路プラッツの原形は、1991年に不登校問題を抱える親が集まって発足させた親の会である[3]。当時、同じ悩みを持つ親が集まる場所が大阪にはなかったことから、まず親の集まりが作られた。続いて1992年4月に、子供のためのフリースペースが設けられ、スタッフとしてフリースペース「京口スコラ」で塾長をしていた[4]蓮井学がスカウトされた[5]。通常、フリースペースは意欲的な支援活動家の主導で作られるところ、支援対象である親の側の主導で作られたのは異例の経緯であった[6]

初代塾長の蓮井の方針は、まず引きこもる者にプラッツという居場所を与え、当人が自ら社会へ出て行くのを待つ、という待ちの姿勢の徹底であった。こうした対処は、不登校になった子供を強制的に登校させる指導が、かえって子供の精神状態を悪化させたことへの反省から出てきた流れである。しかし開所5年目の時点で、開所時からずっと居続けている通所者がおり、プラッツが第二の引きこもりの場となっている、という問題が顕在化した。蓮井は「待つ」から「押し出す」へと方針を変え、通所期限を設ける、旅行を増やす、就業体験の機会を設ける、といった施策を講じた[7][8][9][10]。この方針転換に対する通所者の反応は、実際に社会に出て行く者、他の支援集団に移る者、共同生活へ移行する者、とさまざまであった[11]

2000年代中頃からは、大阪府・大阪市からひきこもりや不登校支援に関する事業を多数受託している[12]。2011年には、大阪府の「ひきこもり青少年支援事業」の補助金を受け[13]、茨木市で「茨木プラッツ」の運営を開始した。

2012年には、開所20周年を迎え、記念のシンポジウムを開いた[14]

  • 1992年 活動開始[1]
  • 2002年 NPO法人となる

所在地

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阪急電鉄 淡路駅下車 東へ徒歩約5分

脚注

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  1. ^ a b c 中尾卓司「おおさかの市民パワー 淡路プラッツ 社会参加へ若者支える ひきこもり克服願い」『毎日新聞』2016年(平成28年)4月18日付大阪本社朝刊25面(大阪)
  2. ^ 「若者の「働く」を考える NPOの役割とは」『NPOジャーナル』第14号、2006年7月、6-16ページ。
  3. ^ 金城隆一「はじめに」『動けない青年たちと動きはじめた青年たち 「ひきこもり」と「ニート」●具体的支援は今どうなっているのか』NPO法人淡路プラッツ、2005年。※ページ数なし。
  4. ^ 橋爪竹一郎『不登校 精神科医・森下一のたたかいとその仲間たち』ミネルヴァ書房、1995年、75ページ。ISBN 4-623-02556-X
  5. ^ 田中俊英・金城隆一・蓮井学(編著)『「待つ」をやめるとき 「社会的ひきこもり」への視線』さいろ社、2005年、21ページ。ISBN 4-916052-18-8
  6. ^ 『動けない青年たちと動きはじめた青年たち』25ページ。
  7. ^ 塩倉裕『引きこもる若者たち』ビレッジセンター出版局、1999年、117-119ページ。ISBN 4-89436-127-2
  8. ^ 蓮井学・金城隆一、田中俊英(司会・校正)「対談・もう「待つ」論議はやめたい 「待つ」というかかわり以外に方策はないのか」『少年育成』第44巻第5号、大阪少年補導協会、1999年5月、14-21ページ。
  9. ^ 久田恵「徹底取材 世紀末の病い 「ひきこもり」百万人の悲劇」『文藝春秋』第77巻第8号、1999年8月、299ページ。
  10. ^ 野木裕子「学校に行かない時代 閉じこもる子どもたち 不登校児の再生を図るフリースペース物語」『別冊宝島』第462号、宝島社、1999年、70-87ページ。
  11. ^ 『「待つ」をやめるとき』26ページ。
  12. ^ 田中俊英「社会参加の可視化――ひきこもりへのスモールステップ支援の意味」『福祉労働』第131号、現代書館、2011年、96-103ページ。
  13. ^ 平成26年度以前のひきこもり支援に関する事業
  14. ^ 金成隆一「若者支援の知恵 みんなで共有を NPO、あすからシンポ」『朝日新聞』2012年(平成24年)10月5日付大阪本社朝刊31面(大阪)。

外部リンク

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