上郷深田遺跡
遺跡の上を横切る舞岡上郷線。向かって左手および道路直下が遺跡の保存箇所。
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所在地 | 神奈川県横浜市栄区上郷町 |
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座標 | 北緯35度21分52秒 東経139度34分35秒 / 北緯35.36444度 東経139.57639度 |
種類 | 製鉄遺跡 |
上郷深田遺跡(かみごうふかだいせき)は、神奈川県横浜市栄区上郷町にある製鉄遺跡。出土遺物の特徴から飛鳥時代から平安時代の製鉄遺跡と推測されている。神奈川県内に唯一残る製鉄遺跡として知られる[1][2]。
概要
[編集]かつての横浜市南部には、鍛冶遺跡が上郷深田遺跡以外にもあり、鍛冶ケ谷などの地名があり、港南区の港南台遺跡群に属する榎戸第5遺跡と[3]・中谷遺跡で鞴の羽口(送風管)や鉄滓などの鍛冶遺物が出土していたというが、1970年代に破壊された[4]。
上郷深田遺跡がある瀬上沢は、古来より、地元の人々の間では鉄滓が出土することが知られており、刀鍛冶に関する遺構が存在するのではないかといわれ、研究が行われていた[5]。1985年(昭和60年)に発表された横浜市都市計画道路舞岡上郷線の工事区域にこの遺跡が含まれていたことから、翌1986年(昭和61年)9月1日より発掘調査が行われ、その結果、大規模な製鉄遺跡であることが判明した[6]。しかし、当初の想定よりも規模の大きな遺跡であり短期間での発掘調査が困難であることや、道路の建設工事により遺跡が破壊されるおそれはないとされ、遺跡を埋め戻して保存し、調査を終了している[7]。この埋め戻し保存の仕方には、現在批判が起きている[8][9]。
瀬上沢の中の、小さい谷を挟んだ隣の丘陵にある上郷猿田遺跡は、立地や巨大掘立柱建物の存在などからみて、深田遺跡で働いた人々のムラである可能性があるという[10]。
調査成果
[編集]1986年(昭和61年)の発掘調査で検出された遺構や出土遺物は以下の通りである。
現在
[編集]遺跡の未調査部分は埋め戻して地下保存し、上に舞岡上郷線を走らせているが、道路は永久構築物のため掘り直し再調査が不可能で、遺跡の活用が出来ないとして市民団体などから批判されている。また30年以上の間、正式な発掘調査報告書が未作成の状況も批判されており[9]、横浜市は作成をする方針だと発表した[8]。
瀬上沢では、かねてから東急建設による宅地開発が計画され、上郷深田遺跡も対象地内にあるため遺跡保護派との間で問題となっていた。しかし、2021年(令和3年)の熱海市伊豆山土石流災害で盛土を使う開発に社会的な懸念や関心が高まるなかでコストが嵩み事業化が困難になったとして、2023年(令和5年)3月に東急建設は主要部分の開発を断念することを決定した[13]。
脚注
[編集]- ^ “Q : 上郷深田遺跡について教えてください”. 公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター. 2019年6月12日閲覧。
- ^ 十菱 2016, p. 18.
- ^ 川上 1976, pp. 146–148.
- ^ 川上 1976, pp. 149–155.
- ^ 発掘調査概報 1988, p. 2.
- ^ 発掘調査概報 1988, p. 2-3.
- ^ 発掘調査概報 1988, p. 3-5.
- ^ a b “横浜、上郷深田遺跡、道路直下調査せず「封印」。市教委「発掘、現実的に困難」。「文化財保護はお題目か」市民落胆。”. 東京新聞. (2022年11月3日) 2022年11月6日閲覧。
- ^ a b “〈2022かながわ取材ノートから〉(6)上郷深田遺跡・ルール軽視の横浜市”. 東京新聞. (2022年12月26日) 2022年12月26日閲覧。
- ^ 栄の歴史編集委員会(2013年)22-23ページ
- ^ 発掘調査概報 1988, p. 5-7.
- ^ 発掘調査概報 1988, p. 15-19.
- ^ “湿地・古代遺跡残る横浜・上郷地区 主要部分の開発中止 盛り土前提「新たな配慮必要」”. 東京新聞. (2023年3月3日) 2023年3月3日閲覧。
参考文献
[編集]- 川上, 久夫 著、社会教育部文化財保護課 編『港南台(横浜市港南台土地区画整理事業にともなう調査)』神奈川県教育委員会〈神奈川県埋蔵文化財調査報告9〉、1976年3月31日。 NCID BN14794349。
- 横浜市埋蔵文化財調査委員会 編『上郷深田遺跡発掘調査概報』1988年3月31日。 NCID BN03843089 。
- 栄の歴史編集委員会『栄の歴史』栄区地域振興課 2013年(平成25年)3月
- 十菱駿武「埋蔵文化財保存と開発事業」『日本不動産学会誌』第30号、文化財保存全国協議会、2016年12月26日、doi:10.5736/jares.30.3_15、2019年6月13日閲覧。