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清光院 (瑞浪市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
清光院せいこういん
所在地 岐阜県瑞浪市一色町3-40
位置 北緯35度21分31.06秒 東経137度14分58.14秒 / 北緯35.3586278度 東経137.2494833度 / 35.3586278; 137.2494833座標: 北緯35度21分31.06秒 東経137度14分58.14秒 / 北緯35.3586278度 東経137.2494833度 / 35.3586278; 137.2494833
山号 旭曜山
宗派 高野山真言宗
本尊 大聖不動明王
創建年 至徳2年(1385年
開山 快通
中興年 天和3年(1683年
中興 快全
札所等 美濃瑞浪三十三観音霊場二十番
法人番号 1200005008562
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清光院(せいこういん)は、岐阜県瑞浪市一色町にある高野山真言宗の寺院。山号は旭曜山。

歴史[編集]

寺伝によると、至徳2年(1385年)に快通が草庵を創建した[1]を端緒とする。

天正3年(1575年)、武田勝頼東濃へ侵攻した時に焼討されて焼失した。

寛文年間(1661-1673年)に再興された。

天和3年(1683年)に再び焼失したが、この年に快全が再々興して中興の祖となった。

以後、真言の寺として南波氏および村民の信仰を受ける。

一色稲荷神社[編集]

瑞浪市寺河戸町185-1にある稲荷神社である。

【祭神】宇迦之御魂命 【例祭日】10月第2日曜日

宇迦之御魂命は、素盞鳴尊の御子で、五穀の豊穣を護る神である。

応永年間[2]この地に旭曜山 清光院が建立されると、守護神として稲荷大明神を勧請した。

天正3年(1575年)に、武田勝頼の東濃侵攻の兵災によって焼失した。

元禄10年3月(1697年)に再興された。

現在の本殿は明治5年(1872年)に再建されたもので、拝殿は大正12年(1922年)改築し今日に至る。

一色稲荷神社は、清光院の南西に位置しており、昔から深いつながりがあったことは容易に想像できるが、棟札を見るとその通りであったことがわかる。

一番古い棟札には、「奉上葺稲荷社頭 元禄十七年[3]甲申二月吉祥 遷宮清光院辨海」と記されており、清光院の辨海という僧が祭事を行っていたことが分かる。

以後、江戸時代は勿論、明治22年(1889年)の拝殿再建の棟札までの総てに清光院の名が残っており、

明治26年(1893年)に、鳥居の修繕を記したものに初めて祠官の名が出てくるので、創建以来、明治時代の中期まで、清光院が別当寺として祭事に関与していたと考えられる。

境内には末社として秋葉社・津島社が祀られ、石造物としては、文化9年(1812年)建立の神前型燈籠等がある。

関連リンク[編集]

参考文献[編集]

  • 『瑞浪市史 歴史編』 第六編 近世 第五章 文化と信仰(文化宗教史) 第二節 神社と信仰 ニ 市内の近世寺院 市内の各寺院 p1040 瑞浪市 昭和49年(1974年)

脚注[編集]

  1. ^ 瑞浪市史 歴史編 p1019・p1022
  2. ^ 岐阜県神社名鑑による
  3. ^ 1704年