清原利見
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時代 | 平安時代初期 - 前期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
改名 | 利見王→清原利見 |
官位 | 従五位上・散位頭 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇→清和天皇 |
氏族 | 清原真人 |
清原 利見(きよはら の としみ)は、平安時代初期から前期にかけての皇族・貴族。もと利見王を名乗るが臣籍降下して清原真人姓を称した。官位は従五位上・散位頭。
経歴
[編集]嘉祥2年(849年)従五位下に叙爵。嘉祥3年(850年)文徳天皇の即位を告げるために伊勢太神宮に派遣される[1]。仁寿3年(853年)少納言、斉衡3年(856年)従五位上に叙任された後、清原真人を与えられ臣籍降下する。
文徳朝末の天安2年(858年)には、正月に石見守、2月に大膳大夫、3月には越後守と短期間に内外の諸官を転々とした。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 嘉祥2年(849年) 正月7日:従五位下
- 仁寿3年(853年) 8月8日:少納言
- 斉衡3年(856年) 正月7日:従五位上
- 時期不詳:臣籍降下(清原真人)
- 天安2年(858年) 正月16日:石見守。2月5日:大膳大夫。3月13日:越後守
- 貞観8年(866年) 2月13日:散位頭
脚注
[編集]- ^ 『日本文徳天皇実録』嘉祥3年6月21日条