清原幸治
表示
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府岸和田市 |
生年月日 | 1971年4月15日(53歳) |
身長 体重 |
178 cm 84 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 一塁手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
|
清原 幸治(きよはら こうじ、1971年4月15日 - )は、日本の元アマチュア野球選手(一塁手)。大阪府岸和田市出身。元プロ野球選手・清原和博の実弟[1]。
パンチの効いた打撃を武器に、アマ球界屈指のスラッガーとして活躍した。
経歴・人物
[編集]小学校3年生の時に野球を始める。シニアリーグ時代は捕手を務め[2]、全国大会で準優勝を果たす。PL学園高等学校時代は野々垣武志と同期で、1年生では片岡篤史の付き人(逆に片岡は兄の和博の付き人であった)、3年生では主将を務めた。1学年下に入来祐作がいた。
高校卒業後、青山学院大学に進学。大学では同期の小久保裕紀と共に2年春からレギュラーとなり、副主将を務めた4年春の東都大学野球リーグ戦では打率.373の活躍でリーグ優勝に貢献した。初のベストナイン(一塁手)とともに、最優秀選手にも選出されている[3]。当時は2年生に高校からの後輩である坪井智哉、1年生に井口忠仁らがいて続く大学選手権でも優勝を果たした。1部リーグ通算74試合に出場、238打数64安打、打率.269、5本塁打。当時の背番号は兄と同じく3であった。
卒業後は松下電器産業(現・パナソニック)に1994年入社。野球部に所属し、強打者として活躍する[4]も1997年シーズン限りでコーチに転身、その後2001年まで4年間に渡ってコーチを務めた。その後は野球部から身を引き、パナソニックで社業に就いている。
2016年、兄の和博が薬物で逮捕された時には、絶縁状態であったことが報じられた[1]。
脚注
[編集]- ^ a b 清原容疑者保釈請求できない…周囲と絶縁し身元引受人いないスポーツニッポン2016年2月21日
- ^ 朝日新聞、1986年8月16日付朝刊、P.23
- ^ 読売新聞、1993年5月28日付朝刊、P.20
- ^ “「背中で見せる」―青学大監督が語る教え子、侍J小久保監督のリーダー像”. Full-Count. (2017年1月31日) 2022年4月15日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 仲間紹介!「清原幸治さん」 - ウェイバックマシン(2019年11月1日アーカイブ分)