清水富士夫
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
誕生日 | 1940年1月29日(84歳) | |||
出身地 | 日本・東京都 | |||
身長 | 168 cm | |||
体重 | 57 kg |
清水 富士夫(しみず ふじお、1940年1月29日 - )は、日本の元フェンシング選手、物理学者。1964年東京オリンピック、1968年メキシコシティーオリンピック日本代表選手[1]。
経歴
[編集]東京都出身。1962年、1964年、1965年に全日本フェンシング選手権優勝。
1967年に東京大学大学院を卒業[2]。5年あまりの博士研究員生活の後、東京大学工学部助教授に就任、1998年より電気通信大学レーザー新世代研究センター教授[2]。
1998年に『原子波ホログラフィーの開拓』にて仁科記念賞を受賞[3]。
脚注
[編集]- ^ “Fujio Shimizu Biography and Olympic Results”. Olympics at Sports-Reference.com. 2012年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月3日閲覧。
- ^ a b “[parity]1999.09 taidan1”. 丸善出版. 2022年8月3日閲覧。
- ^ “原子波ホログラフィーの開拓 (専門向け)”. 発見と発明のデジタル博物館. 仁科記念財団. 2022年8月6日閲覧。
外部リンク
[編集]- 清水富士夫 - Olympedia
- 清水富士夫 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ