清水対岳坊
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清水対岳坊(しみず たいがくぼう 1883年10月1日 - 1970年1月18日)は、日本の漫画家、画家、教育者、新聞記者。対岳坊はペンネームであり、対の字は旧字体を使うこともある。本名は清水勘一(しみずかんいち)。
経歴
[編集]1883年、長野県下伊那郡市田村(現、高森町)に生まれる。准教員養成所を卒業後、小学校の教員となったが、1902年、風刺漫画を募集していた萬朝報に漫画を投稿したのが縁で上京。東京美術学校予科や川端画学校で藤島武二に洋画を学ぶ。
1909年、萬朝報社に記者として入社、漫画による記事を執筆した。同社の投稿漫画の選者となり、ときには注文に応じて風刺漫画を描いた[1]。
この当時、暮らしていた家から富士山が見えたので、ペンネームを対岳坊と号した。1915年に北沢楽天、岡本一平ら各新聞社に所属する漫画家により東京漫画会を結成、清水も名を連ねた。1922年、万朝報社を退社[2]、講談社の専属となり「キング」、「少年倶楽部」、「講談倶楽部」などを中心に漫画や挿絵を描いた[3]。
1944年から郷里の市田村に疎開。1948年に東京に戻った。 1970年1月18日、東京都狛江市の自宅で心筋梗塞により死去。86歳[4]。
画集の中の作品
[編集]脚注
[編集]- ^ 『新聞研究五十年』小野秀雄、毎日新聞社、1971, p13
- ^ “「清水 対岳坊」の解説”. 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」 (2004年). 2021年11月10日閲覧。
- ^ “清水対岳坊”. 「清水対岳坊」『日本美術年鑑』昭和46年版(101頁) (1971年). 2021年11月10日閲覧。
- ^ 訃報欄 清水對岳坊(しみず・たいがくぼう 本名勘一 漫画家)『朝日新聞』1970年(昭和45年)1月19日朝刊 12版 15面
- ^ “【病床の子規】”. 東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ. 2021年11月10日閲覧。
- ^ “郷土日本画家遺作集”. 飯田市美術博物館. 2021年11月10日閲覧。