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清水英太朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
清水英朗から転送)
しみず えいたろう
清水 英太朗
別名義 清水 英朗 (しみず ひでお)
生年月日 不詳年
没年月日 不詳年
職業 俳優
ジャンル 劇映画時代劇剣戟映画サイレント映画トーキー
活動期間 1930年代 - 1941年
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清水 英太朗(しみず えいたろう、生没年不詳)は、日本の俳優である[1][2]。旧芸名清水 英朗(しみず ひでお)[1]清水 英郎の表記もみられる[3]。「マキノトーキーのスター」として知られる[4]

人物・来歴

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生年不詳である。

記録の上で初めてその名が登場するのは、サイレント映画時代の最末期、1935年(昭和10年)7月18日に公開された、京都松竹下加茂撮影所製作、大内弘主演、笠井輝二監督によるサウンド版第二新選組』である[1][2]。当時の芸名は「清水 英朗」であり、脇役の俳優であった[1][2][3]。同年後半に製作された井上金太郎監督のトーキー蹴手繰り音頭』前・後篇に脇役である「鬼勘」の役で出演し、前篇が同年10月31日、後篇が同年11月14日に公開されたが、その後松竹キネマを退社し、同年12月末、太秦帷子ヶ辻中開町(現在の右京区太秦堀ヶ内町)に、牧野省三の長男であるマキノ正博がトーキー(映音式)のための新しい撮影所を建設した新会社、マキノトーキー製作所を設立、これに参加する[1][2][5]

1936年(昭和11年)1月、マキノトーキー製作所がその陣容を発表した際に、「技芸部男優」として、同様に松竹下加茂撮影所から移籍した月形龍之介、大内弘らとともに設立メンバーに名を連ねる[5]。当初、脇役の俳優であり、出演記録に残るものも少ないが、同社で初めて記録にあらわれるのは、同年5月14日に公開された、日活から参加した澤村國太郎主演、松田定次マキノ正博共同監督による『弥太郎笠 前篇』における「乾分玉蔵」役であった[1][2]。同年6月5日に公開された月形龍之介主演、久保為義監督による『黒蜻蛉』は、現在5分の断片が現存状態であるが、「地頭 栗原勇之進」役で出演していることが明らかになっている[3]。同年8月7日に公開された澤村國太郎主演、マキノ正博・広瀬五郎根岸東一郎共同監督による『八州侠客陣』では、平手造酒役を得た[1][2]

伊藤大輔が1927年(昭和2年)に手がけたサイレント映画『忠次旅日記』三部作の脚本を原作に、同社は『國定忠治 信州子守唄』を製作、同年2月18日に公開していたが、国定忠治を演じた主演俳優・月形龍之介が同社を退社し、続きがつくれなくなっていた[5]。そこで同社は、従来脇役俳優であった清水を忠治役に抜擢、芸名も「清水 英太朗」と改めさせて、『忠治活殺剱』を製作する[1][2][5]。同作は、同年12月6日に公開され、以降、清水は主演俳優として同社を支えていくこととなる[1][2][5]。同社は1937年(昭和12年)4月に解散、葉山純之輔、大内弘ら大半の俳優は新興キネマへ移籍したが、解散後の清水の動向は不明である[5]

1941年(昭和16年)8月、明石潮の主宰する「新潮劇団」に加盟、京都の三友劇場での『遠山政談刺青奉行』等の舞台に出演した記録が残っている[4]。以降の出演記録は不明であり、間もなく時代は第二次世界大戦に突入し、消息は不明である。没年不詳

フィルモグラフィ

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すべてクレジットは「出演」である[1][2]。公開日の右側には役名[1][2]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[3][6]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。

松竹下加茂撮影所

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すべて製作は「松竹下加茂撮影所」、配給は「松竹キネマ」である[1][2]。特筆以外はトーキーである[1]

マキノトーキー製作所

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すべて製作は「マキノトーキー製作所」、配給は「千鳥興行」あるいはマキノトーキーの自主配給である[1][2]。すべてトーキーである[1]

配給 千鳥興行

すべて「清水英朗」名義である[1]

自主配給

すべて「清水英太朗」名義である[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 清水英太朗日本映画データベース、2012年12月17日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 清水英太朗、日本映画情報システム、文化庁、2012年12月17日閲覧。
  3. ^ a b c d e 清水英郎東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年12月14日閲覧。
  4. ^ a b 国立劇場[2004], p.611.
  5. ^ a b c d e f マキノ[1977]、p.338-374.
  6. ^ a b c 清水英太朗、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年12月17日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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